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未来=子どもたち、という思考停止
「未来への責任」とか「未来責任」という言葉が好きで、
ときどき使っている。
未来への責任は、「過去の営みへの尊敬」がセットであるべきだとも思う。
「過去の営み」という土壌の上に、若い芽が芽吹いている。
その芽吹いている若い芽を蔑ろにしたり、無視したり、軽んじたりしない。
「未来への責任」とか「若い芽」というと、
小学生や園児や赤ちゃんのことを思い浮かべるが、
義務教育が終わった高校生だって、
大学生だって、
社会人1年生2年生だって、
社会人3年生4年生5年生だって、
その地域の未来を背負っていく世代で、
「芽」だけじゃなく「若木」も大切に育んでいく。
オトナたちにはそうした責任がある。
昨日書いた福島でキウイ農家になろうとするワカモノなんて、
まさにきちんとサポートしていかないといけないし、
そういう人たちがぽこぽこ湧いて出てきやすい世の中にする。
年寄りと子どもばかりに注目していないで、
20代30代を「子育て世代」と一括りにしないで、
子育て中であろうがなかろうが、
20代30代がイキイキワクワク、プレイフルに働いて暮らしていけるようにする、
っていうのが「未来への責任」だと思っている。
なんでこんなこと書いてるのかというと、
今日が誕生日だから。57歳になったから。
一年に一回ぐらいこんなことをココロにリマインドしておかないと、
目の前の仕事にばかり一生懸命になって、
長期的なこととか社会的なこととか、
夢中になれることを忘れてしまいそうになるから。
アメリカの思想家であり建築家であり、「宇宙船地球号」という名言をつくったバックミンスター・フラーは、「富とは」こうだといっている。
富とは将来世代に残された時間のことである。