転勤先はバグダッド
若い友人の壮行会だった。
在外公館に勤める官僚で、
南アフリカからイラクに転勤する。
3日間の準備帰国のうちの一晩を、
見送る6人のために空けてくれた。
早稲田大学ラグビー部の選手だったとき、
奥克彦さんのことを知った。
2003年、イラクで殉職した外交官だ。
奥克彦さんも早稲田大学のラグビー選手だったが、
外交官になりたいという意思のため、退部して勉強に専念した。
外交官になり、研修留学先にオックスフォード大学を選び、
学生時代の無念を晴らすためにも名門ラグビー部の門をたたき、
日本人として初めて、レギュラー選手となった。
その奥克彦さんのその後の活躍によって、
今年のラグビー・ワールドカップ日本大会が実現したことはすでに書いた。
友人も、選手を断念し外交官になる、と退部を求めた。
監督清宮克幸さんはそれを認め、
友人の志を励まし続けた。
友人は見事に国家公務員試験に合格した。
外務省ではなく、経済産業省に入った。
経産省に入って、在外勤務を希望した。
希望勤務先は、バグダッド。
奥克彦さんの、最終勤務地だ。
中小企業の技術、大企業のネットワーク、
ローテクとハイテク、復興という仕事、
経済産業の知識と経験のある外交官。
奥克彦さんの遺志を継ぐ道としては、
バツグンの選択だ。
福島の復興も経験した。
わたしも何度か、福島に連れて行ってもらった。
福島のあと、南アフリカ勤務となり、
ヨハネスブルグで3年修行したあと、
めでたく念願のバグダッドへ。
ヨハネスブルグでは家族で過ごしたが、
今回は、単身で行くという。
妻と幼い娘を東京に残し、
イラクへ赴任するという。
友人は学生時代から、
「奥・井ノ上イラク子ども基金」のスタッフとして働いてくれた。
その夜は、基金の活動を続けているメンバーが集まり、
単身でイラクへ行く友人を、壮とした。