「災間」に生きている
今日の岩手日報の社説に、
という一文があった。
災間(さいかん)とは言い得て妙だな、と思った。
「いま」は平時ではない。非常時と非常時の間に過ぎない。
いつまた次の災害が襲ってくるかもしれない、
だから備えておかなければ、と。
ネットで調べてみると2020年1月19日の朝日新聞「天声人語」が、民俗学者の赤坂憲雄さんの言葉を紹介しつつ、こう書いている。
地震、津波、台風や大雨による洪水や土砂崩れ、火事。
釜石に住む20代の人たちは、
自分たちが生きている間にあの大津波がもう一回来る、
という自覚がある。
最初は驚いたし、大したものだと感心もしたが、
「生きている間」だから明日かもしれない、明後日かもしれない、
今日かもしれない、という覚悟まではどうかな、
と思い直した「災間」という言葉。
東日本大震災のとき、釜石の両石町という地域では、
どこに誰が住んでいて、歩きが遅い人や寝たきりの人がどこにいて、
そして誰が誰を助けるのか、自動車を使うのかリアカーを使うのか、
避難計画をあらかじめつくっていた。
当時の町内会長の瀬戸元さんは「隣助」といっていた。
自助共助公助のほかに、隣同士で助け合う「隣助」がある、と。
個人や家庭で備蓄品や持ち出し品を用意しておくだけではなく、
隣近所や町内会、消防団、少なくともアパートの大家さんとのコミュニケーションはとても大事だと改めて思えてくる。
そして高齢者、障害者など要支援者はもちろんのこと、
釜石で働いている外国の人たちへの配慮を、忘れてはいけない。
わたしたちは、「災間」に生きている。