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「災間」に生きている

今日の岩手日報の社説に、

「災間」を生きていると意識する。

岩手日報2024年1月13日付

という一文があった。

災間(さいかん)とは言い得て妙だな、と思った。
「いま」は平時ではない。非常時と非常時の間に過ぎない。
いつまた次の災害が襲ってくるかもしれない、
だから備えておかなければ、と。

ネットで調べてみると2020年1月19日の朝日新聞「天声人語」が、民俗学者の赤坂憲雄さんの言葉を紹介しつつ、こう書いている。

私たちはいま巨大災害の後を生きているのではなく、災間を生きている。「いつとは知れず、しかし確実に近い将来起こるはずの大きな災害までの、ほんのつかの間の猶予期間を生かされている」のだという。備えを求め、緩みを戒める考え方である

朝日新聞2020年1月19日付

地震、津波、台風や大雨による洪水や土砂崩れ、火事。
釜石に住む20代の人たちは、
自分たちが生きている間にあの大津波がもう一回来る、
という自覚がある。
最初は驚いたし、大したものだと感心もしたが、
「生きている間」だから明日かもしれない、明後日かもしれない、
今日かもしれない、という覚悟まではどうかな、
と思い直した「災間」という言葉。

東日本大震災のとき、釜石の両石町という地域では、
どこに誰が住んでいて、歩きが遅い人や寝たきりの人がどこにいて、
そして誰が誰を助けるのか、自動車を使うのかリアカーを使うのか、
避難計画をあらかじめつくっていた。
当時の町内会長の瀬戸元さんは「隣助」といっていた。
自助共助公助のほかに、隣同士で助け合う「隣助」がある、と。

個人や家庭で備蓄品や持ち出し品を用意しておくだけではなく、
隣近所や町内会、消防団、少なくともアパートの大家さんとのコミュニケーションはとても大事だと改めて思えてくる。

そして高齢者、障害者など要支援者はもちろんのこと、
釜石で働いている外国の人たちへの配慮を、忘れてはいけない。

わたしたちは、「災間」に生きている。