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「ツーブロックはダメ」「女子だからスカート」校則を自分たちで変えてみたら

髪型の「ツーブロック」はなんで校則で禁止されないといけないのか、
ネットで炎上したことがある。2020年のこと。

東京都議会で、都立高校の校則にそれがあるのはなぜ?という質問があり、
教育長が「事件や事故にあうケースなどがある」と答えたことから、
ネットが激しく燃え上がった。

わたしが住む岩手県釜石市のとなりの大槌町に、大槌高校がある。
大槌高校でも「ツーブロック禁止」だったが、
生徒たちによって校則が変わり、ツーブロックOKになった。

経済産業省の「未来の教室」実証事業として、
「みんなのルールメイキング」プロジェクトがあって、
そのプロジェクトを実施する高校のひとつに、岩手県立大槌高校がある。

大槌高校の生徒たちと教員は、「校則検討委員会」を立ち上げた。
と同時に、「生徒宣言」をつくった。
生徒宣言には、
・なりたい生徒像
・つくりたい学校像
・守りたいこと

を盛り込んだ。
「毎日通いたくなる学校」にするために必要なこと、がその3つだった。

検討にかけた校則には、
・ツーブロック禁止の解除
・女子の制服にもスラックスを
・校歌応援歌練習の廃止
があった。

<ツーブロックがなぜダメなのか>

ツーブロックがなぜダメなのか。
教員たちは禁止理由に、
「就職活動を受ける企業は、ツーブロックを理由に面接で落とす可能性がある」
「保護者や地域のみなさんは、いい高校生であってほしいと思っている」
ということを挙げた。

それ、なんかモヤモヤする。違和感あるのは、ぼくだけ?

校則検討委員会がなければ、先生たちがそういうんだったら、
ということで引き下がっていただろう。
しかし大槌高校には校則検討委員会があって、そこの生徒たちは盲従しなかった。

就活先の企業や役場にアンケートをとった。
「ツーブロックヘアーの高校生は、印象悪いですか?」
企業や役場からの答えは、
「気にしない」
だった。

保護者や地域の人たちにも、同じくアンケートをとった。
「ツーブロックヘアーは校則で禁止しないとダメですか?」
お父さんお母さんたちからの答えは、
「義務教育じゃないんだから、ある程度は自由でいいんじゃない?」

ツーブロック禁止校則はめでたく、変更された。

<スカートじゃなくてもいいじゃない>

女子の制服にもスラックスを求めるのはなぜなのか。
生徒たちの理由は、

「寒い!」

それじゃ変更理由にならないから、
LGBTQの勉強会を何度も開いて、ジェンダーについて勉強した。
勉強して、ほかの生徒たちに説明をし、教員たちを説得した。
ゆっくりと時間をかけて、少しずつ理解してくれる人たちを増やしていった。

大槌高校の制服は、ジェンダーレスになった。

<伝統ってなに?>

バンカラな岩手県立高校の伝統行事であるらしい。
バンカラなイメージ、なのかもしれない。
県内のいくつもの公立高校では、
上級生が下級生に対して、校歌と応援歌を歌えるように、
超威圧的・超高圧な指導をしているらしい。

練習中に過呼吸で倒れる生徒がでてはじめて、
ああ伝統は受け継がれたと安堵する。

校則検討委員会では、校歌応援歌練習は校則ではないが、
なんでこれがあるのか、違和感を持った。
違和感を持ったら、話し合い、提案し、変更の承認を得る。

校歌応援歌練習は、オトナたちの思い出のひとつである。
あああのときはああいうことがあったな〜。
懐かしいなあ、辛かたけど、いまとなっては。

校則検討委員会の生徒たちは、
「これ、いつまで続ける?」「私たちの代でやめない?」
「なぜ<伝統>だったら、ケガしても倒れてもOKなの?」

じゃあ、校歌も応援歌も歌えなくていいのか?
そもそも、校歌が存在する理由はなにか?

生徒たちは、論文を調べてみた。
ヒントは熊本にあった。
熊本での地震の際、地元ラジオ局が避難所や仮設住宅などで、
いま一番聞きたい曲のリクエストをとった。

ダントツ一位は、校歌だった。

校歌は地域の文化財となる可能性があることがわかった。
ならば、それは大事にしよう。校歌は歌えるようになろう。

歌えるようになるけど、超高圧短期集中はいらない。
ゆっくりと、上級生も下級生も、お互いに納得できる方法で練習しよう。
校歌応援歌練習は、こうして進化した。

<そして、4つの学び>

生徒たちは、自分たちでルールを変えることで、学びを得た。
①違和感は共感されるもの
②変化は少しずつ、対話と勉強会を重ねていく
③論理的に逆らう
④繰り返し繰り返し、主張し続ける

昨日、「岩手県立大槌高校 地域協働研究協議会」探求発表会がオンラインで開催された。
ほかの仕事をしながら、ラジオ感覚で聞いておこうかな、と思っていたら、
とんでもない、
生徒たちの発表に、ぐいぐい引き込まれていった。

この4つの学びは秀逸だった。