娘が遊びに来てくれたので、
友だちが仙人峠の紅葉を観につれていってくれた。
その前に、こすもすに寄ってお昼ごはん。
定食を食べて、甲子柿を買った。
こすもすの「お父さん」藤井了さんは、
ちょっとお疲れの様子。
甲子柿は燻すことによってトマトみたいに真っ赤になり、
トマトみたいにリコピンがたっぷり含まれるようになる。
(普通の柿の40倍!)
ただし、燻す作業は24時間体制。
交代でやってはいるものの、やっぱり疲れるよなあ。
公園もこころなしか、手入れが滞っているみたいだし。
手伝いにいかないと。
仙人峠の紅葉は赤や黄色のグラデーションが鮮やかで絶品、
とまではいかない。
それこそ人の手が入っていないから山全体がもさもさしているし、
もさもさの山が重なり合ってもさもさもさもさもさもさもさもさ。
赤や黄色も渋くて、よけいもさもさ感が。
だけどそこに釜石の人の知恵。
谷間にかけた橋を真っ赤に塗り、
そのスッキリした人工物と、
もさもさした天然自然が、ばっちりとハーモニーを奏でている。
これはお見事だ。
せっかく仙人峠まで来たのなら、
遠野まで行こうよ、ということで遠野へ。
遠野のカッパ淵に来た。
土淵町の常堅寺裏を流れる小川の淵ににはカッパが多く住んでいて、人々を驚かし、いたずらをしたといわれています。
澄んだ水がさらさらと流れるカッパ淵は、うっそうとした茂みに覆われ、今にもカッパが現れそうです。(遠野市観光協会公式サイト 「遠野時間」より)
もちろんカッパがいるわけじゃないし、想像上の妖怪だけれども、
用意されたきゅうりをくくりつけた釣り竿を小川に垂れると、
なんとなくそれっぽい気がしなくもない。
未来のことではないけれども、
スペキュラティブデザインのいう
Aesthetics of Unreality(存在しないものの手触り)。
未来どころか過去の想像物のカッパを、
釣り竿を垂れさせることによって想像させてしまう。
もちろん、そう感じようとする想像力も必要で、
想像しようとしない人にはその「手触り感」はないだろう。
紅葉には感嘆のため息をつくことができても、
カッパ淵にはがっかりしかない、ならば、
想像しようとしてみるといいかも。
遠野はカッパで遊び心を出し、
釜石はもさもさにスッキリで溜息をつかせる。
連れて行ってくれた友だちと、来てくれた娘に感謝。