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なぜか洗濯が好きなのだ。
一人暮らしなのに3日に1回は洗濯機を回している。

中学1年生から寮生活をした。
当たり前だけど、着てるものは自分で洗濯をしなければならなかった。
寮生の数に対して洗濯機の数が圧倒的に足りないし、
干し場も限られているから、
休みの日に早起きをして洗濯していた。

高校を卒業して長崎から東京へやってきて、
一人暮らしを始めたら、
自分専用の洗濯機を持てた、こんなうれしいことはなかった。
お金がないわけじゃなかったが、あえて二槽式洗濯機を買って、
ビーとかブーとか鳴ったら洗濯機に歩み寄って、
あっち(洗濯槽)からこっち(脱水槽)、こっちからあっちに洗濯物を移して楽しんだ。

結婚してからも、自分のものは自分で洗って干した。
かみさんも「これは楽だ」と思ったかもしれない。
もしかして思わなかったのかもしれない。
家でごはん食べるときも、たいがいはそれぞれ好きなものをつくって食べていたから、自分のことは自分でやるのがハウスルールだったのかもしれない。
ちなみに、結婚してしばらく弁当をつくってくれたが、
それがいつまで続いたか記憶にない。

子どもが双子で生まれて、
子どもたちのも洗うようになった。
おむつは紙おむつだったので洗わなかったが、
布おむつにしたとしても洗っただろう。
おむつは手洗いせよといわれたら、手洗いで洗っただろう。

洗濯が好きなのは、汚れた衣服がきれいになるからではない。
洗濯するという行為そのものが好きなのだ。

子どもたちが中学生になったとき、
これからは自分たちで洗濯してもらおう、
わたしが中学1年生から洗濯し始めたように、
子どもたちも「もうこれからは自分で洗濯します」と、
大げさにいえば父の人生と同じ軌道を歩んで欲しかった。

けど、かみさんはそれを許さなかった。
「とんでもない!」と、子どもたちのはかみさんが洗うことになった。

縷々説明して説得を試みたが、
もとより自説を曲げる人ではない。
父の人生云々は論外のこと、
自立ということすら「とんでもない!」ことのようだった。
子どもたちももちろん、洗ってくれるなら洗って欲しいみたいだった。

子どもたちが大きくなるにつれ、洗濯機も大きくなった。
なので、わたし一人の洗濯では容量に空きがある。
もったいない。
子どもたちとかみさんのバスタオルも洗ったらしっくりきた。
子どもたちもかみさんも文句いわなかったから、
ああこれでいいのだと安心した。

子どもたちのバスタオルは、生まれたときに名前入れのやつを買ったり、
ちょっと大きくなったら別のキャラクターものを買って使ったりしてたが、
大学を卒業するまで、ふたりともそのバスタオルを使ってくれていた。

離婚してわたしが家を出るまで、使っていた気がする。
3年前なのに「気がする」でしかないのは、
きっとそうだと過去を改ざんしているのかもしれない。

子どもたちはいま、どんなバスタオルを使っているんだろう。
もうそれをわたしが洗濯することはないのだけれど。