
大隈塾第3回は、長谷川琢也さんがゲスト講師。ヤフーの社員であり、
フィッシャーマン・ジャパンの事務局長。
フィッシャーマン・ジャパンは石巻にあって、
危機にある漁業・漁師をなんとかせんといかん、
と立ち上がった団体。
1977年3月11日生まれ。
2011年3月11日、横浜生まれ東京在住の長谷川が、
東北にかかわるようになる。
ヤフーは、石巻復興ベースを立ち上げ、復興支援にのりだす。
そこに、長谷川はいた。
(なんか、NHKの「プロフェッショナル」っぽい)
それまでは、どちらかというと会社に使われていた長谷川さんは、
会社の力を利用して働くようになる。
ヤフーで検索するだけで、募金ができる仕組みを作った。
震災の記憶を残すために、ツール・ド・東北を始めた。
地元の食材を利用して、空弁駅弁ふくめ弁当を販売した。
いろんな企業とのコラボ企画を連発した。
「自信のない歯車が、エンジンになった」
東京の社員や地元の人たちを、どんどん巻き込んでいった。
「仕事がupdateされた」
課題解決という、新しい働き方に変わった。
東京から石巻に、家族4人で移住した。
長谷川さんは、石巻のオフィスで働き。
子どもたちは、石巻の学校に通った。
案の定、壁にぶち当たる。
震災後の移住、
地元の人たちとは仲良くなったが、
薄皮一枚、介在する感じが拭えない。
どんだけ石巻のことを愛しても、
その感覚は残った。
「よそ者だからこそ、誰の役にも立てるんじゃないか」
と地元の人にいわれた。
あまり仲良くないAさんとBさんの間に立てる。
取引のないC社とD社の間に立てる。
都会と地元の間に立てる。
生産者と消費者の間に立てる。
「つなぐ人になればいい」
漁師のなり手がどんどん減っていく。
漁師の子どもが漁師にならない。
漁師の子どもが漁師になりたくないわけではない。
漁師本人が、子どもに
「公務員になれ」
と勧めた。
勇敢な漁師たちと、フィッシャーマン・ジャパンを立ち上げた。
メディアに取り上げてもらえるように、
いろんなことを仕掛けていった。
そもそも、ヤフーの社員である。
ここでも、会社の力を利用して、
思いつく限りのプロジェクトを打っていった。
漁業や漁師に関心がなかった人と、
業業や漁師とつないだ。
漁師になりたい人を、漁師たちとつないだ、
魚を食べなかった人に、
美味しい魚を提供した。
ヤフー石巻復興ベースを立ち上げたときの社長の言葉が、
長谷川さんの心を占めていた。
「才能と情熱を解き放て」