「知識ってなに?」って聞かれたらなんて答えますか?
「知識ってなに?」
20回目の「春休み大隈塾」は、灘高の先生と学生たちとで語り合った。
まず驚いたのは、灘中も灘高も、教科書はほぼ使わないらしい。
教科書を使わず、先生たちが独自で教材をつくる。
驚いたけど、考えてみると大学でも教科書はない。
あるのは先生が書いた著書で、つまりそれは先生の知識、知恵で、
大学の講義は伝統的に、知識の伝達だった。
とすれば、教科書ってなんだろか?
それを使って生徒たちに教えるとすれば、
それは先生の知識の伝達ではなくて、誰かの知識の伝達でしかないのかも。
伝達された知識は、生徒や学生が個人で深堀りしていく。
場合によっては、複数人のワークで広げていくこともある。
これがアクティブラーニングの第一歩で、
「知識はみんなでつくるもの」
と先生はいう。
知識はみんなでつくっていくもの、とすれば
それは社会構成主義にも通じていく。
灘高は、
「優秀な生徒たちを集めて放ったらかしにしておくと、
化学反応が起きて自分たちで成長していく、
っていうのを期待しているふしがある」
と先生はいう。
だとすれば、大隈塾もまさにそうで、
学ぶ意欲のある学生たちが学部も学年も越えて集まってきて、
グループワークやプロジェクトでわいわいやって、
化学反応が起きて、成長していく。
知識はがっちりと定説として固まったものではなく、
時が経てば変わるものでもある。
歴史的事実も同じで、
だから常に学び続けなければならない、ということ。
知識とはみんなでつくっていくもの、とすれば、
いろんな人がかかわったほうがより深く、より広い知識になる。
知識ってなに?
大隈塾では、informationとintelligenceの違いについても考えてきた。
伝達されたもの、本に書かれたものを受け取った直後の知識と、
わいわいやって広げていった、一人で深めていった知識とは、
おのずと別物になってくる。
これが、informationとintelligenceの違いにつながっていく。