雑談と、閉じた田舎と開いた田舎
授業がオンラインになったら、雑談が必要、と書いた。
さっそく、さとのば大学の信岡良亮さんが雑談に応じてくれた。
信岡さんがゲスト講師としてゼミに来てくれて、
そのあとゼミ生が、「放課後トークしましょう」と。
信岡さんも、それにのってくれた。
stay homeでおこもり生活が日常になり、
仕事はリモート、学校はオンライン授業、
それだけじゃなく、
オンラインでの飲み会、いろんなイベント、勉強会、
ライブや映画館もできてきた(「仮設の映画館」)。
信岡さんは、
「オンライン上に巨大なサードプレイスが広がっている感覚」
がある、と。
自宅がファーストプレイス。職場や学校がセカンドプレイス、
それ以外に自分が身を置く場所、心を休ませる場所を
サードプレイス、という。
たしかに、コロナ前のネットの使い方は、
文字や写真によるコミュニケーションが主で、
「居場所」という感覚はなかった。
それがいまは、居場所になってはいる。
サードプレイスだし、
仕事もできて学びもできる、とすると、
なんのために東京にいるのか、
という命題を、コロナ後には突きつけられるだろうね。
じゃあ、日本中どこででもオンラインで仕事も学びもできるんだけど、
リアルな生活はどうなる?
たとえば、自然豊かなところに、ということで、
なるべく人が少ないところに住むとすると、
それだけ人間関係は濃くなっていく。
よそ者を受け入れてくれるのか。
ゼミ生みさとが、
「ゼミのときに『閉じた田舎と開いた田舎がある』っておっしゃましたが、
『閉じた田舎』『開いた田舎』ってどういう意味ですか?」
と質問。
信岡さんは、
「その地域の未来に対して、
自分たちだけで考えて、やっていこうとするか、
それとも、
ほかの人たちとも一緒に考えてやっていこうとするか、
じゃないかな」
と。
なるほど~。
未来に対して、自分たちだけか、
それとも多様性を受け入れるか。
ふっと思った。
それって、田舎というか地方だけのこと?
自分たちがいまいるコミュニティは?
会社や学校は? というミクロなこともそうだし、
じゃあ、日本ていう国は?
というマクロな考え方もできる。
私たちは、閉じた国に住んでいるのか、
開いた国に住んでいるのか。
雑談、大切だな〜。