ごはん食べにいったら、いろんなことが起こった
ランチを食べに、チャリカフェにいった。
大槌町にあるチャリカフェは、ダイちゃん夫婦が経営してて、
ダイちゃんはチャリ=自転車屋で、奥さんがカフェを担当。
仮設住宅から町の中心部に移ってきて何年かたってるし、
わたしも釜石に引っ越してきてまもなく5ヶ月になるのに、
まだ1回もいってないのはないな〜、と思っていた。
ダイちゃんとの出会いは、2011年。
もと住んでた池尻大橋の居酒屋屯(たむろ)のイノちゃんが
「大槌いくんだったらダイちゃんに会ってみてよ」
って、とてもバクとしたこといってて、
そんな会うわけないじゃないかと思っていたら、会えた。
息子が所属していた中学のラグビー部が釜石に合宿に来て、
大槌でボランティアをしているそばのパチンコ屋の駐車場で産直していた。
というか、店舗が流された人たちが軽トラやワゴン車でわさわさ物販してて、
その中のひとつがダイちゃんたちのワゴン車で、
自転車屋のダイちゃんは売り物の自転車がみんななくなったし、
新品ピカピカの自転車が支援物資として配られていたので、
ますます自転車屋としての仕事ができなくなり、
料理上手の奥さんが蒸しパンをつくって売っていた。
看板に掲げられていた名字に聞き覚えがあったので、
もしかしてと尋ねてみると、ダイちゃんだった。
こんなこともあるんだ、と感動していたら、
ダイちゃんたちは売り物の蒸しパンをぜんぶプレゼントしてくれた。
東京から中学生が合宿とボランティアに来てくれたことに感激して、
ダイちゃんたちはその日の売り物をぜんぶ。
被災して何もなくなったのに、
そんな自分たちのメシのタネを惜しげもなく、
という。
以来わたしは、ダイちゃん夫婦を尊敬している。
尊敬しているのに、5ヶ月もあいさつなしかよ、
ということで、出かけていった。
釜石駅から三陸鉄道に乗って大槌駅。
駅から歩いて5分ぐらいのところにチャリカフェはあって、
ドアを開けたら、
大槌ジビエの藤原朋さんがいて、
あれ〜〜〜っていってたら、店の奥から声かけてくる人もいて、
誰かと思ったら昨年末の講演にきていただいたヤマザキさん。
朋さんもヤマザキさんも旧知の仲なので、
どんどん話がはずんでいって、
けっきょくダイちゃんとはあいさつだけ。
話ができなかったばかりじゃなくて、
チャリカフェで注文した唐揚げプレートも食べられなかった。
というのは、大槌駅到着時間から1時間後に釜石行きの汽車があって、
ランチに1時間はかからんだろうという目測で、
その釜石行きの汽車に乗るのを前提にして次のスケジュールを組んでいた。
その汽車を逃すと、次は2時間後。
時間が読めるから移動は電車、
何分歩いてどこそこに着いて、
着いた先ではどのくらいで用事をすませ、
また電車に乗って移動して、
○時○分には次のアポイントを実行する。
というTokyo styleなことから抜け出せてなかった。
恥ずかしいことに。
申し訳ないことに。
唐揚げプレートはテイクアウトにしてもらって、
朋さんにクルマで駅まで送ってもらって、
そしたら駅舎には大槌町観光交流協会も入っていて、
そこに用事できていた観光地域づくりコーディネーターのササキさんを紹介してくれて、
ササキさんからは短時間でいくつもキーワードがでてきて学びになったし、
ごはん食べに来たらいろんな人に合わせてくれて、
しかもテイクアウトの唐揚げプレートは、釜石までの汽車の中で食べられた。
まったく予定外のことばっかり起こったけど、
もしかすると、それでよかったのかもしれない。
Kamaishi style、Otsuchi style。
プランド・ハップンスタンス、計画された偶発性。
チャリカフェにはまた来週、いってみよう。