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未来につながる、を考える修学旅行 (釜石への道〜2011年から2020年⑪)

<前回のあらすじ>
東京の広告代理店から、「鵜住居小学校の修学旅行を支援したい」、
という申し出があって、小学校の校長先生にそのことをお話しにいった。
2012年のこと。

釜石の小学校の中では、あえて鵜住居小学校にピンポイントで支援するのは、
実際に小学校と釜石東中学校の跡地を訪れたことがあることと、
「釜石(鵜住居)の奇跡」に対して敬意を表するためだ。

その趣旨を説明すると、
校長先生は意外なことをいった。

地域のおかげ

鵜住居小学校の坂下俊彦校長はいう。
「地域の人たちに助けられました。
学校だけでは、子どもたちの生命は守れませんでした。
地域の人たちが、ホントに津波の怖さを語ってくれ、
防災意識を高めてくれました。
語り継ぐことのよって、子どもたちの生命を救ってくれたんです」

鵜住居小学校の児童や釜石東中学校の生徒たちには
勇気と生きる力があった、としながらも、坂下校長は、
「子どもたちが自主的に避難した、奇跡だ、
ということを報道されていますが、
子どもたちの生命を預かるものとして、
そうした報道には反発を覚えます。
地域の人たちが、子どもたちを助けてくれたんです」

新たに1枚目の思い出の写真を撮りたい

被災した2011年は、大阪市教育委員会が費用を負担してくれた。
2012年は当初、めどがついていなかった。
修学旅行にいけるこ子といけない子がでてくるかも知れなかった。
それならいっそ、今年度は中止、という判断もあった。
しかし、子どもたちの最初のみんなでの旅行である。

家も家族もなくした子どもたちだった。
子どもたちの成長の記録、思い出の品々、写真をなくしてしまった親たちだった。

仙台という都会で、新しい思い出をつくってきてほしい。
そこから始まるものもある。
スポンサーにとっては、そう願っての修学旅行のプレゼントだった。

自分たちの未来は、自分たちの手で

修学旅行を無事に終えたあと、
坂下先生はいう。
「『自分の未来につながる』、というテーマを掲げた修学旅行でした。
友だちどうしの関係を深める旅でもありました。
子どもたちは、短期間でよく準備をしました」

これまでになかった企業見学も、旅行のコースに取り入れた。
キリンビール、七十七銀行、東北電力だ。
「短期間のうちに復旧復興を果たしたのが、キリンビールでした。
工場の人たちが心をひとつにして立ち向かった、
地域の人たちの支えがあった、と聞いています。

そしてなにより、『美味しいビールをつくりたい』という、
自分たちの役割をはっきりと認識していた。
これを、子どもたちに知ってほしかった。
そして、銀行は復興の中心、電力会社は復興のインフラです」

担当の教員と児童たちが、いっしょに決めた見学先だった。
どんな修学旅行にしたいか、何度も話し合った。

「未来につながる、ということを自分たちで考えた。
今すぐになんらかの効果がある、というわけではありませんが、
10年後、20年後に自分たちはどういう仕事がしたいか。
10年後、20年後に自分たちは何ができるのか。
それを修学旅行で友だちと考えることができる。
行動することができる。

すごく価値のある修学旅行になりました」

バスの窓にはてるてる坊主

バスの窓には、てるてる坊主がいくつもぶら下がっていた。
2012年の鵜住居小学校の仙台への修学旅行は、
梅雨の晴れ間の2日間だった。

あれから10年がたった。
みんなどうしているだろうか。