田原総一朗さんから耳を疑うような話を聞いた
昨日は田原総一朗さんの誕生会「田原祭り」だった。
大隈塾のOGOBたち40人が集まって、
90歳の誕生日を祝った。
誕生日プレゼントは何がいいだろうか、とスタッフは考えたけど、
「いっぱいしゃべることじゃないか」とわたしがいったら、
はたしてそのとおりで、
120分のパーティの1/4は、田原さんに好き勝手にしゃべってもらった。
といっても、20年以上田原さんとかかわってきたわたしにとって、
目新しいエピソードや切り口はほぼなく、
でも90歳になっても数字にはめちゃくちゃ強い。
数字に弱いわたしは、田原さんがなんのエピソードを数字をつけて説明して説得力があったかすら忘れてしまったけど、
ともかく、人数やら金額やらをビシッとあげてくる。
感心するなあ、と思っていたら、
「サンプロが打ち切りになったとき」
という話になった。
日曜日朝の政治討論番組「サンデープロジェクト」は、
1989年4月から2010年3月まで、
20年にわたって放送されてきた。
最初はワイドショーで、
島田紳助が司会で、コメンテーターとして都はるみが「普通のおばさんになりたい」といった引退からの芸能界復帰が話題となった。
田原さんの政治討論コーナーは、ワイドショーの一部でしなかった。
でもその一部でしかなかった政治家インタビューが、
田原さんの遠慮ないツッコミで相手をあたふたさせ、
大汗をかいたり怒りだす国会議員たちが続出し、
やがてはサンデープロジェクトのほぼすべてを田原さんの政治家インタビュー、
あるいは政治経済の特集がメインになっていった。
そして、2010年、番組は打ち切りになる。
民主党政権になって、政局はドタバタして、
特に番組をなくす理由もなかっただろうに、
田原さんは社長に呼ばれてクビをいい渡された。
「くやしかったのはね」
と田原さんはいう。
「番組がつぶされたことじゃなかったんだよね」
「スタッフがぼくを守ってくれなかった。
スタッフが番組を続けようといってくれなかったこと」
「そのとき初めて、スタッフを大事にしなきゃいけない、ってことを知ったんです」
これは初めて聞いた話だった。
だってわたしは、20年以上大事にされてきているから。
今日4月15日は田原総一朗さんの誕生日。
90歳、おめでとうとざいます。