「釜石レボリューション」ふたたび
「あんときと同じだ」
と、安部正行さんはいう。
ポスティングをしてて、
「クリーニングのあんべ」が目に入ったので、
ご挨拶にいった。
お盆休み明けの営業準備でわさわさしてらしたが、
その手を休めて、ボランティアスタッフたちとわたしにしゃべってくれた。
あんべさんは釜石の高校を卒業して東京へ出た。
実家のクリーニング屋を継ぐための修行だった。
だけど、途中で切り上げて、釜石に帰ってきた。
街の基幹産業である新日鉄の高炉が止まり(1985年、1989年)、
金融機関の釜石信用金庫が破綻した(1993年)。
人口も減り、釜石の街に活気がなくなっていった。
なにか新しいことをして、
停滞する街を元気に、街づくりをしよう、と、
「釜石レボリューション」
という団体が立ち上がる。
1987年4月のこと。
その年8月に、第1回目の街祭り「釜石よいさ」が始まる。
名称は「1万人の虎祭り 釜石よいさ」だった。
「若い人たちが集まって、
なんか新しいことをしなきゃならない、
なんか新しいことをしなきゃ釜石は終わる、
っていって走り回って祭りを準備してた」
「いまはあんときとおんなじ。
いままでのことを変える時期が来たんだよな」
2度めの「釜石レボリューション」を始めよう。
そのひとつが、
「ONE KAMAISHI 3万人でひとつのまちに」