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2024年12月30日ウズベキスタン4日目(サマルカンド)

ティムールの墓を見る。14世紀、中央アジアに興ったチャガタイハン国の指導者。黒い墓標は一度ペルシアに持ち去られたものの、現地で疫病が流行ったので戻されたとか。いわゆる「ティムールの呪い」の逸話。その後ソ連時代の1941年6月19日に開けられて、ティムールの骨格から肖像が再現された。この日付をガイドのナビジョンさんが言ったのは意味があって、この後6月22日にドイツがソ連に侵攻し、第二次大戦が始まったため。ティムールは自分の墓が暴かれる時、国に破滅的な運命が来ると言っていたとか。自分が知っていたティムールの呪いはこの1941年の話だった。今後、この黒いふたがうっかり開けられないことを祈る。しかしふたは真ん中あたりで割れているので事実上開いているのかも。第三次世界大戦など、昔は冗談とかhavoq(大混乱)の比喩でしか使われない言葉だったがウクライナとシリアの現状を指してもう始まっているという人もいる。A.シュワルツェネッガー主演の映画「コマンドー」で元特殊部隊の主人公が復讐しようとした時に周囲の「いったい何が始まるんです?」「第三次世界大戦だ」というやりとりはネットミームにもなっていた。戦争は映画の中だけが良い。

天文学を振興したウルグベク

レギスタン広場の建物の一つにはウルグベクの像もあった。イスラム神学だけでなく天文学も振興させた君主。郊外に天文台も作っていた。羊の皮にアラビア文字で名前を書いてくれるという店に行った。もちろん(ウズベク語ではAlbatta!) 自分で書くのが目的。
 اسمم موراکامیイスミム ムラカミ、私の名前は村上です、と教科書通りの字体で書いて、そのまま竹ペンを持とうとしたら、草書体のような美麗な飾り文字に書き換えられていきなりハードルが上がった。5分ほど紙で練習して、やはり難しいので店員にお願いしようとしたが無言のまま。仕方なく自分で書いた。妻も自分の名前を書いた。上手く書けていた。インクをたくさんのせた方がよかったらしい。昼はピラフ、恐ろしく油が多い。旅行社の現地責任者が突然テーブルに来て、昨日の峠越えができなかったことをしきりに謝った。峠で事故があったらしい。お詫びに飲み物をサービスするとのこと。ワインやビールも頼めたがザクロジュースとコーラにしておいた。

シャーヒジンダ廟


午後はシャーヒジンダ廟群にいく。シャーヒが宣教者、ジンダは生きているの意味。ペルシア語زندگی ゼンデギーから分かる。ガイドのナビジョンさんはタジク語の家庭で育ち、前はペルシア語を勉強していたとのこと、だからアラビア文字も読める。石碑のبِسْمِ ٱللَّٰهِ は自分も読むことができた。ビスミッラー、アラーの名の下にの意味。午後は市内のバザールへ。年末のせいか人が多い。出来立てのナンをガイドさんが食べさせてくれた。これがサマルカンドのナンだと。隣の店員から話しかけられる。

バザール スイカ・ナッツ・香辛料・ハチミツ・さばいた肉などがある。

タジク語は話せるのかと聞かれるので、farsi tili(ペルシア語)ならと言って、あとは妻がpharmacist(薬剤師)だと言ったらAptekaアプチェカ(薬局)だなと言われた。Aptekaはロシア語由来の言葉。他にもStantiaスタンツィア(駅)とかGazetaガゼータ(新聞)とか、とにかくロシア語から入った語彙が多い。果物や肉、ナッツ類がたくさん並べられている。果物はどうせ持ち帰れないので買えない。デーツが欲しかったので頼んだら身がドロドロになったいまいちなものがでてきて妻と2人で顔をしかめた。そうすると見るからに良質のものが来たので買った。本当は面倒がらずに値段交渉するのが正しい。

手前がペカンナッツ 絶対に殻付きを買うべき!風味が全く違う。

他の店でペカンナッツとマカデミアナッツを試食。殻付きのせいかとにかくフレッシュで甘くて今まで食べた中で一番美味しかった。店の言い値で購入した。夜は市内の店でディナー。また爆音。小学校低学年の女子が上手に踊っている。日本の客がいるからとのことで「100万本のバラ」が歌われるがツアーの全員がわからない。ナビジョンさんが「あなたにあなたにあなたにあーげーるー」と歌ってくれたが聞き覚えがない。ネットで調べるとソ連の歌手アーラ・プガチョワが歌って、日本には加藤登紀子が1983年に紹介したらしい。ジブリの「紅の豚」さくらんぼの実る頃を歌った人。さくらんぼの実る頃、は普仏戦争敗戦時のパリに登場した労働者自治政府パリコミューン(La Commune de Paris 1871)を歌ったものだとか。東大卒の加藤登紀子が
Quand nous chanterons le temps des cerises カ ヌー シャテロン ル トン デシェリー(私たちがさくらんぼの季節を歌うときには)と立派なフランス語でシャンソンを歌った昭和の時代があって、大塚愛が能天気なさくらんぼを歌った平成がおわった。令和も楽しい時代であってほしい。

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