公開記事●ノストラダムス徹底取材を敢行! 1999年7の月の”恐怖の大王”/「ムー」クロニクル
1999年に、世界が滅亡することを告げた「ノストラダムスの大予言」――。
それは「ムー」にとっても創刊以来、絶対に欠かせない大きなテーマだったのだ。
文=編集部N
名著『ノストラダムスの大予言』
五島勉氏の著作『ノストラダムスの大予言』が出版されたのは1973年のこと。以後、日本列島は「1999年世界滅亡の呪縛」とでもいうべき空気に覆おおわれた。1979年に創刊された本誌「ムー」にとっても、当然ながらそれは、避けては通れない大きなテーマとなった。
ノストラダムスの名が本誌に最初に登場したのは1981年5月号(第10号)。五島氏から「ノストラダムスの謎を解くKEY」という特別寄稿をいただいている。
「ムー」1981年5月号より。
2年後の1983年4月号(第29号)では、総力特集「大予言者ノストラダムスの秘密」を掲載。このときには初のフランス現地取材を敢行。日本では知られていなかった、大予言者が生きた風景を紹介した。
ノストラダムスをテーマにした、1983年4月号の総力特集。このとき、初めてフランスへ現地取材を敢行している。
かくして1999年7月まで、「ノストラダムス」の名前が冠された記事は12本にも及ぶ。注目すべきはそのうちの半数、つまり6本が総力特集だったということだ。そこからもいかにノストラダムスが、「ムー」にとっての重要テーマだったかがわかるだろう。
また、1994年には2回目のフランス取材を実施。同行した編集部(現在の三上編集長)が、これでもかというくらいに徹底的な突撃取材を行った結果、数々の貴重な写真資料が山のようにもたらされることになった。その成果は翌1995年1月号(第170号)で報告されている。
ノストラダムスの生家、若き日に学んだアヴィニョン大学、そして晩年を過ごし、『百詩篇』を執筆した家と書斎……誌面で読者に公開されたこれらの貴重な画像データは、インターネットのない時代、きわめて貴重なものだったのだ。
(上右)資料を持つ古書店の主人。(上左)本誌170号。
そして迎えた1999年7の月――。
「恐怖の大王」はやってこなかった。だが、わずか数年後に世界は急展開を迎えている。
ついに「恐怖の大王」が降ってきた!?
1999年という世紀末を超え、世界は新世紀に入った。それと同時に、あのノストラダムスの終末予言は、だれもが外れたと思っていた。
だが――そこに突如として起こったのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件だった。本年の本誌8月号総力特集でも触れられていたが、多くの予言研究家が、このテロ事件こそまさに恐怖の大王の正体だったのではないかと、改めて驚愕したのである。
そもそも1991年に旧ソ連が崩壊したことで、それまでの東西(旧ソ連とアメリカ)冷戦構造は消滅。アメリカが唯一の超大国として君臨するようになった。世界は資本主義、自由経済によって統合され、いわゆるグローバリゼーションの時代を迎える。世界はひとつ――そう高らかに宣言がなされた矢先に、新たな問題が噴出した。抑圧されていた民族・宗教問題である。
じつは1999年は、この大きな爆弾を抱えたまま過ぎていったのだ。そして21世紀を迎えて間もなく起こったのが、グローバリズムに反対するグループによる、9・11同時多発テロ事件だったのである。この事件をきっかけに、世界では新たな対立構造の存在が明確になった。それはある意味、東西冷戦よりもはるかに根深く、深刻なものだったのである。
本誌もさっそく、同年12月号の「緊急報告/同時多発テロ 2001年悪魔の千年王国が始動した」で追跡。2002年1月号では「同時多発テロ、アフガン報復は6000年前から計画されていた!」のサブタイトルのもと、総力特集で事件の徹底分析を行っている。この問題はそれ以降もしばしば取りあげられ、2004年3月号の総力特集でも、一連の戦いを「黙示録戦争」と位置づけ、日本とのかかわりを論証した。そう、人類滅亡へとつながる世界戦争の危機は、決して消え去ってはいなかったのだ。
事件後、すぐさま総力特集でテロ事件の本質を解読。
テロ事件と「黙示録」、そして日本の未来について検証する総力特集の号。
9・11事件を受けて、新たな世界滅亡の危機を警告。
自爆テロは、世界に大きな衝撃を与えた。
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