暴言 学校の教育計画にある「めざす子ども像」って本当に大事か?
めざす子ども像に疑問を感じないところが怖いと思う
教育計画に必ず掲載されている「めざす子ども像」。智・徳・体を基準にいい子になってねというもの。
ただ、考え見ると、そんな子どもばかりだと、実は授業が活性化しないかもしれない。同じような考えで同じような行動をするなら差が出ないじゃないか。
天国より地獄の方が、人間が生きていくには刺激的だという考えと同じ。でも、天国の方がいいとみんな思っている。何もしなくて安心して暮らせるようなイメージ。でも何も考えないところに発展はあるのだろうか。問題が多くて当たり前、その中で考えていく。苦しいこともあるけど、それを乗り越える知恵の実を手に入れることも大事ではないだろうか。そう、知恵を手に入れたためにエデンから出されるように、社会へと子どもたちは出ていくのだ。
なんてことを不埒にも考えているということは、今の教育に少し苛立ちを感じているのだろう。
めざす子ども像。ここに書かれている内容は、コールドリーディングとして、どんなにも使える便利な言葉でもあるような気がしている。
便利な言葉で思考停止するのはよくあることだ。