
正論は人を追い詰めることもある。特別支援の現場から
特別支援の指導について、一般論はあまり意味をなさないことがあります。
正論のアドバイスであっても、特別支援教育の本質は、できないことがあると認めることだと思います。
小学校でこんな論議になったことがありました。
「必要のない支援は避けるべきです。子どもが何に困っているのかを理解し、自己決定の力を育むことが重要です。だからと言って、何でもかんでも手を差し伸べる必要はありません。逆に、過剰な介入は子どもの成長を阻害しかねません。」
「また、1年生の場合、学校に行きたくない子どもに対して、最初は担任よりも支援の先生が関わる方が良いでしょう。学校のルールや環境に慣れた後に、担任がサポートするという段階的なアプローチが効果的ではないでしょうか。」
とも述べられました。
これに対し、私は心の中で叫んでしまいました。
「子どもたちはこのような合理的なアプローチにすぐには従わないでしょう。特に初めて学校に来た子どもたちにとって、不安が大きい時期です。まずはその不安を取り除くことが最優先です。信頼関係が築かれていない大人の指導に、どれだけの子どもたちが素直に従えるでしょうか。特別支援教育が必要なのはこうした理由です。最初に子どもの不安を解消し、その後の学習と成長をサポートすることが重要です。大学の先生の一般論は理にかなっているかもしれませんが、現場の子どもたちのことを考えると、実際の対応はより柔軟で個別化されるべきです」。
また、論語にあるように、「凡有地牧民者、務在四時、守在倉廩。」「国が豊かであれば遠方から人が集まり、土地が広がれば人々が定住するでしょう。食料や衣服が豊かであれば礼節や品性を学ぶことができるでしょう」とありますが、学校に来れない子どもたちはまず基本的な不安を解消する必要があります。その上で初めて学ぶ環境が整うのです。
当時、私は高学年の特別支援学級を担任しておりました。そのクラスにもこのような子どもたちが多くおり、その課題を理解しています。だからこそ考えることが多かったのです。
ただ、決定された方針を覆すことは難しいため、情緒学級の若手教師が一年間をどう乗り越えるかについては、私もサポートしようと心に誓いました。ただ、ベテランの親学級の担任がいたので、そうそう表だって口出しすることができず、自分の学級での成果を見せることが大事と思いました。
可能な限り、自分なりの方法で支援を続けていくことが大事になってきます。
現場はむつかしいものです。