若き日の思考から その2 「写生会の罠」
昨日に引き続き、酒井式についてのことを記しておきます。
今読み返しても、考えさせられることがあると思うのですがどうでしょう。
写生会の罠
2学期、どの学校でも恒例の行事となるのが「写生会」です。場所はお城や神社仏閣が多いですよね。でも、子どもたちは本当にそんな建物を描きたいと思っているのでしょうか?
例えば、学年主任の先生から「この学校ではこの時期、和歌山城へ写生会に行きますが、どうされますか」と問われた場面を想像してみてください。内心では「私のクラスだけは行きません」と断りたいところ。でも、今後の関係性や学校全体の流れを考えると、結局「ぜひお願いします」と答えてしまう…。そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。
そしていざ当日、画板と紙、筆記道具を持たせた子どもたちは野放し状態。あちこちをうろうろしたり、友達とおしゃべりしたり、しまいには石の投げ合いが始まることもあります。描き始めたかと思えば、汚れた画用紙だけが手付かずのまま帰ってくる…。その後、完成させる方法を考えながらため息をついた、そんな苦い経験をお持ちの方もいるかもしれません。
酒井先生の提案する「新しい写生会」
このような写生会の在り方について、酒井先生は「フレッシュ文庫別冊④『思った通りに描ける写生会の企画 酒井式描画法』」の中で次のように論じています。
日本全国、どこの学校でも当然のように行われる写生会。この行事に違和感を持ったのは、たしか新採3年目の頃だった。
私の近くでおしゃべりしながら写生をしている2年生と3年生の子どもたちは、五頭山という山に背を向けて、五頭山を描いているのである。
その時は「そんなものなのかな」と思ったが、よく観察していると彼らは全く「写生」をしていないのである。一言でいえば「見て描いていない」のである。
この経験をきっかけに、酒井先生は写生会の在り方を考え直し、「新しい写生会」の形を提案しました。その具体的な方法は次の通りです。
1年生と2年生は近くの牛舎に行き、牛と遊んでから帰校後に牛を描く。
3年生と4年生は市場に行き、ものを売る人や買う人を観察し、学校に戻って「思い出して」描く。
この方法を取り入れることで、子どもたちは実際に見て体験したことを自分なりに消化し、描きたいものを描く楽しさを味わえるようになります。
写生会の課題とその背景
酒井先生の学校ではこの方法が定着したものの、他の学校では依然としてピクニック感覚の写生会が続いていました。酒井先生は美術の研究会などでこの在り方を批判し、「絵を描く日」や「絵画デー」としての新しい形を提案し続けました。しかし、大きな変化は起こりませんでした。
その背景には、日本の学校の保守的な体質があると酒井先生は指摘します。つまり、長年の慣例や行事の形に固執することで、新しい試みを受け入れる柔軟性を欠いているのです。
提案:写生会をもっと意味あるものに
写生会は単なる行事ではなく、子どもたちにとって創造力を育む貴重な機会となるべきです。そのためには、次のような工夫が考えられます。
描く対象を子どもたち自身に選ばせる
子どもたちが興味を持つものを自由に選んで描くことで、主体性を育むことができます。体験を取り入れる
酒井先生の提案のように、観察や体験を重視し、描く内容を身近なものにすることで、子どもたちの意欲が高まります。表現を評価する柔軟な視点を持つ
完成度だけでなく、子どもたちの観察力や感じたことを表現する力に目を向けましょう。
「写生会」という形式に縛られるのではなく、「絵を描くこと」の本来の楽しさや意味を再考することが大切です。
このことからも、酒井式の考え方は私の図画のもとになっていることが分かります。
今の若い人は「酒井式描画法」や「きみこ式絵画法」など知らないのではないでしょうか。
図画に迷ったら試してみる価値は十分にあると思います。
そして私の方法も試してほしいです。