若き日の思考から その1「世界の美術教育の歴史から見る酒井式描画法」
若いときに、「文芸教育」から始まり、「法則化運動」のちの「toss」で勉強していました。そのときどうにか貢献しようと考えながら運動を推し進めていました。
得意の図画指導として、「酒井式描画法」を庇護するような論を自分なりに考えていました。その時の文章です。
すべて信用するのではなく、こうゆう考え方もあるのかという一つしてうけとめていただければと思います。
色々と悩み考え行動していた30代です。
あまり面白くないですが、その理論紹介といきましょう。
世界の美術教育の歴史から見る酒井式描画法
酒井式描画法では、日本の美術教育への提言が繰り返し述べられています。その考え方や方法論は、決して特別でも奇抜でもなく、むしろ古くから世界中で語られてきた普遍的なテーマと一致しているのではないでしょうか。本稿では、その証拠をいくつかの歴史的文献から拾い上げてみたいと思います。
子どもたちの絵を描く喜び
子どもたちは絵を描くことが本能的に大好きです。エドワード・ヒルは著書『画の言語』(1966年)で、次のように述べています。
「どんな子どものいたずら書きも、子どもが線を重ねながら、わけもなく画面の上で手とクレヨンを動かす感覚にすっかり夢中になっていることを明らかに示唆している。これには、何か少し魔術的なものがあるに違いない。」
しかし、学童期に入ると、美術を教科として学ぶ過程で絵を嫌う子どもが現れることがあります。この変化の背景にはどのような要因があるのでしょうか。
美術教育における挫折の原因
児童美術の専門家であるサンフランシスコ美術館のミリアム・リンドストロムと、カリフォルニア州立大学教授のベティ・エドワーズは、子どもたちが絵を描くことを断念する要因について次のように述べています。
「自分の作品の仕上がりに不満で、しかも自分の作品で人を喜ばせたいという強い願望のために、独自の想像や個性的表現をあきらめる傾向がある。(中略)
この段階で、視覚化する能力はもちろん、独自の思考力や自己表現を通じて周囲と関わる能力が発展を阻害される可能性がある。これは、多くの大人が超えられなかった困難な局面である。」
『児童美術』(1957年)
さらに、『脳の右側で描け』(1979年)では、批判や無理解が子どもの創作意欲に与える影響について次のように指摘されています。
「子どもたちは、運の悪いことによくある他の理由によって、表現行為としての画を断念してしまうこともめずらしくありません。配慮のない人たちが子どもの画に辛らつな、あるいは自尊心を傷つけるような批評をすることがあります。(中略)悲しいことに、子どもたちは不用意な批判を責めるよりも、心の傷の原因となる自分の画を責めることが多いのです。」
酒井式描画法の国際的背景
酒井式描画法の特徴は、視覚だけでなく多感覚を活用して描く点にあります。このアプローチは、キーモン・ニコラスデスが『デッサンの道しるべ』(1941年)で述べた内容と驚くほど一致しています。
「したがって、ただ見るだけでは不十分なのだ。描こうとするものに、できる限り多くの感覚―とりわけ触覚―を通じて、生き生きとしたフレッシュな接触をすることが必要なのである。」
また、「描くことを学ぶことは、実は見ること―正しく見ること―を学ぶ問題なのだが、この見るというのは、単に眼で見るという以上のことを意味している。」
これらの言葉は、酒井式描画法が世界的に共有されてきた美術教育の原理と調和していることを示しています。
普遍性と現代的意義
このように、世界の美術教育に目を向けると、酒井式描画法がいかに普遍的な思想に根差しているかが見えてきます。これは単なる技法の一つではなく、子どもたちの創造性を守り、育てるための大切な理念といえるでしょう。
最後に、パウル・クレーの言葉を引用します。
「私は、仮説によらず、どんな細かいものであろうと、具体的なものから始めなくてはならない。」
なんか、宗教がかった感もありますが、都合のいい所を切り取り、本気で広めようと考えていたようですね。
なんにせよ、今だから言えますが、教育について考える時期って教師として必要だと思います。