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今の「当たり前」。それは本当にベストなのか、ベターなのか。

コロナウイルスが流行している影響で各企業の説明会も中止になるところも多かったり、オンライン配信に切り替わったり。我々が未だかつて経験したこともない事態が起きている今日この頃。

一刻も早く事態が収まれば、、、

そう願うしかないのですが。

さぁ、最初に就活の説明会もオンライン配信に切り替わっているという話をさせて頂いたのですが、先日私もある企業のオンライン説明会を受講していました。

説明会の話題と致しましては、

「ヒットコンテンツ」を出すにはどうしたら良いか。

そのテーマに対し、壇上に立っている一人の男はこう言いました。

「大衆派に流れるのではなく、少数派観点に流れて考えてみる」

なんか、この言葉ムーブメント起きそうな感じしませんか?(笑)

この言葉って言い換えれば、

「今ある当たり前を常に疑え」

僕は勝手にこいう言い回しとして解釈しているのですが、今の日本社会にとても求められている案件だと僕は思うんですよね。

例えばで話すと、「タトゥー」ですよね。何故タトゥーを入れている人達は温泉に入れないのか。

そんなの偏見にすぎない。

タトゥー入れている人達のその一つ一つには、大切なメッセージを組み込んで入れている人達だっている。

好きな人への思い、家族への思い、大事にしている言葉、決意。

「タトゥー=悪い人」

っていつ誰か決めたのか。まずここを皆さんに問いたいです。

そもそもいつからそんなイメージがついたのか、、、

遡ることこと奈良時代、

奈良時代頃には入れ墨は刑罰の一種となっていきます。江戸時代には罪人に対して罪として入れ墨を入れ、地域によってその入れ墨の内容も異なったようです。面白いのが、紀州(和歌山)では罪人に対して「悪」と腕に入れ墨を入れたようで、見せしめの対象となっていたと思われます。そのほか、何度も犯罪を繰り返す罪人には「大」や「犬」といった文字を額に入れることも行われていました。その後、明治時代になると、近代国家体制を目指すべく、1872年の太政官令により入墨刑が廃止され、また装飾用途としても入れ墨を入れる行為が禁止されていきます(野蛮に映ったのでしょう)。それ以降、1948年まで日本において入れ墨は非合法となります。こうした歴史的背景から、現代まで続く「入れ墨」が反社会的といわれる所以だと思われ、入れ墨に対して日本では「マイナス」「ネガティブ」なイメージが定着したものと思われます。

文化を大事にする日本。もちろんそれがブランド化して他国から評価される部分も多いが、今ある当たり前すべてがベストではないと僕は思う。

その「当たり前」におかしいと思ったロンドンブーツ一号二号の田村淳さんは、

「タトゥー銭湯」という企画を作った。

今回はタトゥーに着目して話してますが、僕自身日本にはもっと疑うべく「当たり前」があると感じます。

ただ、「これおかしいよね」とか「なんでこうなの」とか思っている人は今の世の中グローバル化になってきたからこそ多いと思う。

ただそれを改善するために行動する人はいないから、僕はその一角となりたい。

ちなみにこのタトゥー銭湯は大好評でして、結局皆思ってることは同じであったからだと思うんですよね。

そうやって一つ一つ方法はなんでもいいから、世の中の良くない当たり前を変えてくれる人が増えてくれば、もっともっと明るい日本が待っているのではないでしょうか。

その方法で適しているのがエンタメだと個人的には思うから、エンタメ業界で働いてみたいんですけどね。

以上!



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