鬼滅の刃がマジック:ザ・ギャザリングの今を暗示している
今や社会現象となった『鬼滅の刃』。主人公竈門炭治郎が、鬼になった妹を人間に戻すため、鬼の始祖である鬼舞辻無惨を倒す姿を描く大人気コミックだ。ご多分に漏れず僕もハマった口だが、これがなかなかどうして、マジック:ザ・ギャザリングの現在を痛烈に批判している風刺に見えてならない。作者はきっとトレーディングカードゲーム経験者だろう。
《宝石の睡蓮》事件
間もなく発売予定の新セット『統率者レジェンズ』のプレビュー・イベントで、ある事件が起きた。それは《宝石の睡蓮》が公開された時である。"統率者を唱えるため"という制限はあるものの、統率者フォーマットならどのデッキにも入るであろう性能、高いレアリティであるが故に予測できるシングル価格の高さ、そして何より再録禁止の強力カード《Black Lotus》の生き写しの姿に各方面から不満が爆発した。
《宝石の睡蓮》には、近年のウィザーズの悪いところ全てが詰まっている。人気のあるフォーマットに狙いを定め、新規商品を販売。それを売るためにシェアや環境を無視したオーバーパワーなカードを収録。一時的には盛り上がるが、環境はそのカード一色になってしまい、人が離れていく―まさにフォーマットの破壊だ。
さて、この構図どこかで見覚えはないだろうか。そう、まさに冒頭で触れた『鬼滅の刃』にそっくりだ。
『鬼滅の刃』8巻より
我々消費者はいつもウィザーズに有利な市場の中で戦っている。ウィザーズが「やーめた」と言えば終わってしまうこのゲームを。破壊されたフォーマットは簡単には元に戻らない。インフレについていけずに失ったプレイヤーも帰っては来ない。
炭治郎のこの台詞は、まさに"鬼=フォーマットの破壊者=ウィザーズ"という図式を痛烈に皮肉っている。
ウィザーズは鬼舞辻無惨か
健全な環境、そしてその中で遊ぶプレイヤーを人間とするなら、オーバーパワーだったり高い希少性で高騰が見込まれるカードを投入し、人の欲望に漬け込んで環境を破壊するウィザーズは宛ら、人間を鬼に変える鬼舞辻無惨だ。
スタンダードで《創造の座、オムナス》が史上最速の17日で禁止になったのは記憶に新しい。しかし、デザイン方針を刷新し、プレイテストもプロプレイヤーを使っている、と言っていたのにこの体たらくである。それでも、何も悪くなかったとでも言いたいような悪びれない禁止制限告知には、開いた口が塞がらない。自分中心主義の鬼舞辻無惨の性格そのままだ。
文句があるならマジックを辞めるしかないのか?
『鬼滅の刃』はマジックの暗喩
『鬼滅の刃』にもマジック:ザ・ギャザリングにも、それぞれを示唆する場面が多く登場する。
そもそも、マジックにおいて"ONI"は初出の概念ではない。神河次元にはオーガを使役する存在として、"ONI"が登場している。見た目は『鬼滅の刃』における低級の鬼そのものだ。
3/4文字が被っているそのまんまな鬼もいる。
『鬼滅の刃』7巻より
マジックに『鬼滅』要素があれば、逆もまた然り。例えば7巻のコイン投げの場面だ。コイン投げと言えば、マジックのお決まりの要素だ。炭治郎は赤の高コストで変な効果を持ったエンチャントを使うデッキが好きに違いない。
彼とEDHやったら絶対楽しいと思う。
『鬼滅の刃』9巻より
映画のキャッチコピーにも使われた、劇場版の主役、煉獄杏寿郎の名言。実はマジックには、心を燃やすカードがかなり存在する。
心というよりかは全身燃えてるけど。
『鬼滅の刃』21巻より
マジックには様々なクリーチャーがいる。もちろん相手にとっては嫌な存在ばかりだ。対戦していると、世の中は存在してはいけない生き物ばかりだと思い知らされる。この場面の炭治郎はまさにそんな気持ちだろう。
マジックプレイヤーは異常者の集まりなのか?
新セットが発売されると熱狂して飛び付くが、環境が固定化したり強すぎるカードが登場するたびに文句を言う。自分の商品で勝手にセカンドマーケットを作り出し、株のようにシングル価格に一喜一憂する。ウィザーズが無惨だとするならば、相手が消費者とは言えこんな台詞も吐きたくなるだろう。
『鬼滅の刃』21巻より
もちろんビジネスである以上、こんなことは口が避けても言えないわけだが、そう思われていてもおかしくはない。
ここまで言ってきたが、とにかく今のマジック:ザ・ギャザリングは腐った油のような臭いがする。商業主義に傾倒し過ぎている。しかし、その根源の正体は、なんと本当は鬼舞辻無惨ではない。とある記事が代言してくれている。
新ファイレクシアでもない。
この記事にある通り、目標の喪失がまさに我々が今直面している状況だと思う。サラリーマンでも週末を頑張れば世界へ飛び立てる―そんな場所がどんどん失われ、ストレスの捌け口がウィザーズに向かっていっている。これは何だか、太陽を克服する方法を探し次々と凶行へ走る鬼舞辻無惨の姿に重なって見える。本当の鬼は、我々だったのではないか。そんな自戒と教訓を今回の結論にしたいと思う。『鬼滅の刃』、面白いから見た方がいいよ。