体に名前を刻むというサバイブ 399-20240222
イスラエルがガザ地区を攻撃し始めたころに、こんなニュースを見たことがありました。いつどうやって死んでもいいように、体のパーツに名前を書いておく。そうすることによって、もし爆撃などで死んでしまったときに、死んだということがわかる、というもの。
それを聞いたとき、なんてつらいことなのかと思いました。自分たちは悪いことをしているわけではないのに、責められるいわれはないのに、なぜかバックグラウンドが同一のものとして扱われ、攻撃され、なきものにされる。
ほんとうにいったい何が、正しいことだと思って、こんなことになっているのかというのは、歴史を調べたり国際政治の流れを追えば理解はできるものの、その根本に何があろうとも、人命は人命であるよな、と思うんですよね。
ほんとうにわけがわからないよ、というのはこういうときに使う言葉なんだろうなと。なぜ、と考えてもわからないことはわからないんですよね。そういう、論理から外れたところに、利害関係があって、感情があったりするのかな、と。
情報がすぐに手に入るからこそ、そういうふうに体に名前を刻むということをするのかもしれません。そもそも、そんなことを調べられない状況、レンズが手のひらの中にあるからこそ、そういう選択を取るのかもしれません、と考えるきっかけになってるかもしれない。
スマホもなにもなければ、死んだことを知ることがとても難しい状況じゃないかと思います。自分がいなくなったこと、家族がいなくなったこと、離ればなれになったらどうやって知ることができたのだろうか?
電報とかあったかもしれません。その前は?手紙?さらにさかのぼれば、急にいなくなった人を探すにしても、どこかで諦めなければいけない。
そうなると、神隠しにあったとか、呪術的な話になるのかなとか。
以上です。
※TOP画像はDALL-Eで作成しています。
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