『青天を衝け』第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」(2021年6月20日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)
篤太夫(吉沢亮)と成一郎(高良健吾)はおのおのが別の道を進み始めることとなった。今回は篤太夫が勘定組頭にまで出世するまでの時期が描かれる。
冒頭では大坂での米の販売。周知のように各藩の米は大坂に集積され、そこで売買がなされた。篤太夫は入札によって商人を競わせることで、西国一橋領内の米を高く売ることに成功する。また備中の一橋領内では硝石の製造販売を手掛ける。
幕府では勘定奉行の小栗忠順(武田真治)や目付・栗本鋤雲(池内万作)が、フランスからの軍艦購入を画策する一方、パリ万博への参加のオファーについて相談している。日本の物産を万博で広く外国に紹介し、コンパニー(商社)を通じて輸出し、幕府の財政を建て直そうというわけだ。徳川家康(北大路欣也)が説明するように小栗は、1860(安政7)年に幕府の正式な使節としてポーハタン号で渡米しており、幕府が西洋列強に互していくためには殖産興業による富国強兵政策が必要と認識していた。このとき随行艦である咸臨丸に乗ったのが、勝海舟や福澤諭吉であった。一方、1865(慶応元)年、薩摩藩遣英使節団として英国へ行っていた五代才助(ディーン・フジオカ)もベルギーのブリュッセルでモンブランと貿易商社設立の契約を結び、幕府に先んじようとしていた。
さて、一橋領今市村では篤太夫が、今市村の白木綿は姫路のそれと比べて安く買いたたかれている。これを一橋でまとめて高く買い、ブランドものとして売り出し、儲けようと村人たちにプレゼンする。しかし、村人のなかにはそうした役人の提案を甘言として退けようとする意見も。
海の上のイギリス船のなかでは新任のイギリス公使ハリー・パークス(イアン・ムーア)(1)が、アーネスト・サトウ(カイル・カード)、アレクサンダー・シーボルト(アレキサンダー・サガラ)に7年前に約束した条約の実行を日本はなぜはたさないのかとイラつき、7日以内に勅許(チョッキョ)を出させるように命じていた。今回初登場のアレクサンダー・シーボルトはあのシーボルトの息子。徳川昭武のパリ行きに通訳として随行するので覚えておきたい。
その条約勅許を求められた幕府。開国派の幕閣は勅許など不要、兵庫を即時開港せよと言う。しかし、孝明天皇(尾上右近)を取り巻く薩摩派の公家、正親町三条実愛(置鮎龍太郎)は、逆に老中・松前崇広(北斗)と阿部正外(眼鏡太郎)の罷免を要求する。勅許も得られず、攘夷も実行できずの家茂(磯村勇斗)は征夷大将軍を辞任、慶喜(草彅剛)に将軍職を譲るという。慶喜はそれを何とかとどまらせるため、孝明天皇の前で公家を恫喝し、ようやく条約勅許を得たのだが……。
江戸では政界を引退した川路聖謨(平田満)の屋敷に訪ねてくるやす(木村佳乃 ※今回、女性の登場はここだけ)。新しい徳川の夜明けを見届けるまでくたばれないという聖謨であったが、この3年後に悲劇的な死を遂げることになる。一方、松平春嶽(要潤)も久々の台詞付きで登場。春嶽の屋敷には薩摩の大久保一蔵(石丸幹二)が訪ね、幕府を見限りわれわれで日本の政治を主導していこうとの誘いをかける。春嶽は左内(小池徹平)の諸侯連合構想を思い出しつつ、心動かされる。
物産会所設立を猪飼勝三郎(遠山俊也)に訴える篤太夫。仁をもって得た利でなければ意味をなさないと論語の一節を引きながら述べ、さらに慶喜には銀札の発行を提言する。一橋の信用によって経済を活性化させようという策である(実際に銀札版木を作るところからドラマでやるのは初だろう)。領内の農民が製造した綿布を銀札で買い上げ、農民が引換所(銀行)に持ち込んだ銀札を正貨である二分金等と引き換える。いったん正貨と100%の引き換えが保証されていると思えば、領内流通は銀札で賄えるという寸法である。篤太夫のこの策は当たり、一橋家の勘定組頭に抜擢された。成一郎も軍制所調役組頭に昇進。二人は別々に暮らすことにするのだが、成一郎は、篤太夫に対して慶喜の本当の苦しみを知らないと。
この頃、薩摩と長州の同盟が成立。グラバー商会と長州との仲介を帰国した五代に依頼する大久保。その大久保は京の岩倉村で蟄居している岩倉具視(山内圭哉)に会いにいくという。一方、勅命による第二次長州征伐で幕府軍は苦戦。薩摩が英国から購入したミニエー銃(1)が威力を発揮したのだ。そして、家茂が大坂城で人事不省に陥る。
注)
(1)パークスは前任者のオールコックの後任として日本駐在公使として着任した。ドラマのシーンは横浜上陸前の船上という設定か。ちなみに時の英国首相はパーマストン外交でその名を知られるパーマストン。外相時代には Gunboat Diplomacy で中国に対してアヘン戦争、アロー戦争を仕掛け、インドではインド大反乱を鎮圧した。
(2) 薩摩藩が輸入したミニエー銃はイギリス・ミニエーでエンフィールド銃。
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