私は元々広告、雑誌などの写真を撮るフォトグラファーを生業にしていました。その活動の中で去年4月に行った写真展 X NFTの仕掛けでNFTに触れてその可能性や面白さに惹かれNFTのコンサルティングクリエイティブ会社CRYPTO&を立ち上げました。 https://shooting-mag.jp/interview/8192/ 現在のNFTに関してはNFTアートの売り買いやその価格高騰が殆どの話題ですがNFTの社会の中での使用実例がやっと少しづつ出てきたのをとてもいい事だと
コロナが始まり最初の緊急事態宣言時学校へも外へも行ってはダメになり皆何も出来なくなった。 写真屋さんとしては多くの方々がやった様に人が居なくなった街の記録に出るべきでしたが余り興味無く愚息と屋内で向き合っていました。 それでも世の中の大人は出社せざるを得ない方々が多く学童保育だけが細々開かれており愚息も偶に通っていました。学童の先生方も随分と疲弊しており何か出来ないかと考えました。 ある日愚息が学童で絵を描いてみせてくれて内容をあーだこーだ説明してくれた。何も出来ない世
02展 #CJDSP 六日間の展示でしたが本当に沢山の方々が足を運んで頂きました。 僕がNY時代野良猫の様にピリピリしてた時代ご一緒した方々、日本に戻って全く誰も知らない所からまた始めてとても苦戦してた時に沢山の御恩を頂いた方々、少しずつ仕事を頂く様になり広告写真の楽しさ感じさせてくれた方々、それを近くで助けてくれた歴代アシスタント、いきなり連絡し、写真展という現物がある物にNFTを付けたいと訳のわからない事を面白がって多大な協力をしてくれた今回のチーム、他僕の人生に関わっ
4/7から恵比寿のアメリカ橋ギャラリーで写真展を開催する事になりました。6年振りの展示になります。 緊急事態宣言中、人を撮るフォトグラファーの私は何も出来なかった。仕事もストップし悶々とした毎日を過ごしていました。誰も居なくなった街を撮りに行くのも色んな方々がされてると思うのでボケ〜っと家でお料理YouTube を見てました。そんな時以前からファンでお仕事でもご一緒した事のあるCYBERJAPAN の皆さんとひょんなことから作品撮りする事になり一度目の緊急事態宣言明けた時に
磯遊びした後ビチョビチョに濡れた服を着替えさせ隣の浜でジュース飲んでたらまた遊びだした。着替えたばかりだから絶対濡れんなよ!と強く言って少し離れて遊んでる所見守るとヤングカッポーとなんだか話しながら楽しそうにしていた。 30分程してヤングカッポーが帰ろうとしたが潮が満ちておりあった筈の岩場が海に沈んでいた。彼氏もスニーカー脱いで海に入って渡ろうとする前に愚息が着替えたばかりの服で腰まで入り彼女に手を出して渡らせようとしていた。彼氏が先に渡り彼女を助け渡らせたのだが渡るまで愚
人が物理的に動く事難しいからこそ増える案件内容は有ると思ってる。この時期なのに海外からの問い合わせが連続してきてる。前迄は”うちの国迄来て撮ってくれ。”だが、今週連続で来てる案件は”そこで撮ってくれ。”だ。 NYに居る時は海外にチャンネル増やす事重視で活動してた。日本に完全帰国した後国内のみでスケジュール埋まると言う現実的な理由も有るが全然海外拡張路線取らなくなった。あと日本と海外って繋がってるようで全く繋がってないと感じてたからだ。 表面上JAPAN要素を海外で使いたい
コロナ禍での自粛生活も飽きてきたのでnote初めてみようと思います。 私は広告や雑誌などを主に撮影するフォトグラファーを生業にしているMunetakaTokuyamaと申します。十代から水商売始め二十代から14年NYに住み何故かフォトグラファーとして活動したのち日本に帰国して今に至ります。なのでこのnoteでは国内外の撮影関連やその他どうでも良い独り言のような物を書いて行こうかと思っています。昔のmixiの日記の様なノリで。 この原稿を書いている4月24日、外はとても良い