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女子会で傾聴ポテンシャルを測る

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傾聴力とは一般的に「聞いてあげる力」と捉えられていると思いますが、この記事ではそれを懐疑的に検討することにより、

  • なぜ自分は人の話が聞けないのかがわかる

  • 自分が暗に他人に求めていた傾聴に気づく

ことができます。

「聞いてあげる」と「聞ける」の違い

感情の傾聴スキルについて考えていたら、そもそも「傾聴力」に対するイメージが間違ってたなーと思ったので書いておきます。

いわゆる心系の仕事をするにあたって、「傾聴力」って大事っていうイメージがぼくの中にあったんですけど、そもそも「傾聴」に対するイメージって、親身になって話を「聞いてあげる」みたいななんというか仰々しいイメージが無意識にあったなーと思うんです。

でも、「本当にそうなのか?」って思ったんです。

公園で、泣いている子どもを見つけます。そこへお母さんがやってきて、子どもの話を聞いています。子どもが泣き止みます。

側から見ると魔法でも使ったのかと思う様なその光景からイメージされるのは、

  • 優しい母親

  • 子どもの気持ちを何でも聞いてあげる母親

  • 感情的にならずに愛を持って接することができる母親

みたいなすごい母親像、なのですが。

でも、「本当にそうなのか?」って思ったんです。

「話を聞いてあげられる」ということと、「話を聞ける」というのは同じ様で違いますよね。

例えば、営業の仕事をしていたらお客さんの要望を聞いてあげることはできるかもしれませんが、内心ではイライラしまくってるかもしれません。

友達の話を聞いてあげられるという人も、家に帰ったらその友達の愚痴を彼氏に話しているかもしれません。

一方で、「ただ聞ける」というのはどういうことかというと、相手の話を聞いたからって自分がイライラすることも、特に感情的になることもないということだと思います。

友達の話を「ただ聞ける」というのも、「ふんふん、ふーん、そうなんだー。」で、終わり。聞けるけど、聞けるだけ。それに感情的な反応がないからこそ、ただ聞ける。

これ、似ている様で違いますよね。

前者は、「聞いている」様だけど、実は相手が話している内容で動いた自分の心の声を聞いてるだけだったりします。

だから話し手からしても、いつの間にか自分が話していたことに対して相手の方が感情移入していて、「それ、あなたの感情では?」なんて、主人公が変わってしまってると感じたり、することもあるのではないかと思いました。

同調が欲しい人は「ただ聞く」ができない

「共感してあげよう」も同じで、「共感してあげる」というのは本当の共感ではなく無理に同調してるだけで、相手にもそれは伝わる様な気がするんですよね。

一方で、後者は冷たく感じることもあるかもしれません。特に、同調を欲している人にとっては。

ただ、同調を欲しがっているということ自体が、実は自分が一番自分の気持ちに否定的であること証だったりするんです。だから相手に自分の気持ちに同調してほしいと思う。そうすれば安心するから。

同調はよく言えば「聞いてもらえてる」ということなのですが、悪く言えば「ただ聞いてもらう」では我慢できない、ということになります。

人に「ただ聞いてもらう」ができないということは、自分が自分の気持ちを「ただ聞く」ができないということと同じです。

どういうことかと言うと、自分の感情に対して、その都度いちいち評価をしているということです。

  • こういう感情は良くない

  • こういう時はこういう感情になるべき

  • 普通は、人としては、こういう気持ちを抱くべき

そういうふうに自分の気持ちを評価してしまい、「ただ聞く」ができない。感情が湧くたびにこれをしていたら、24時間テストの採点をしている担任の先生みたいになってしまいます。

ぼく自身が自分の気持ちを「ただ聞く」が長い間できなかったからこそ、わかるんです。これだとすごい疲れます。

泣く子どもの話を聞ける母親

泣く子どもの話を聞ける母親は、

  • 優しいから聞けるのでしょうか。

  • 愛があるから聞けるのでしょうか。

  • 子どものことを一番に考えているから聞けるのでしょうか。

ぼくは、そうではないのではないか?と思います。「泣く子どもの話を聞ける」ということは、ただ単に、

  • 泣くことは悪いことではない

  • 子どもなんだから泣くことくらい普通

のように、「泣く」ということに対して自分が感情的な反応や評価を行わないからこそ聞ける。のではないかと思うのです。「ただ聞く」ができる。

いまあなたが、泣く子どもの話を聞けないのだとしたら、「聞いてあげよう」ではなく、なぜ「聞きたくないのだろう?」という自分の気持ちに注目するべきではないかと思うんですね。

相手の話をまずは「聞いてあげよう」としたとしても、結局それは、「私だったら人に親身に話を聞いてほしいから」という自分の願望で相手に接しているからので、そういうときは、聞いてあげようとしても本当は聞けないのです。

であればまずは、「泣く子どもに対する自分の感情」に注目し、それを聞いた方がいいんです。

自分の感情を抵抗なく聞けるようになることが、人の話を抵抗なく聞けるようになることと同じだからです。

ぼくが女子会を勧める理由

ぼくが女子会を勧める理由は、よくもわるくも、「人に話をする」ということに対する自分の心の反応を測れるからです。

人の話を「聞いてあげなきゃ」と思う人は女子会が億劫だろうし、

「ただ聞ける」という人は「ただ話す」ができる

から女子会は発散になるでしょう。

女子会に対する心の反応は、自分が他人との会話に求めていることを暗黙のうちに示しているのです。

「女子会」と聞いて皆さんはどんなイメージが湧きますか。

それは「人の話を聞いてあげる場所」ですか?それはもしかするとあなた自身が、「自分だったら人に話をちゃんと聞いてほしい」からですか?



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