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他人の気持ちはわかろうとしないほどに理解できる訳

「自分の気持ち」、「他人の気持ち」の起源を考えてみる

ぼくは、他人の気持ちというのは、わかろうとしないほど理解できると考えています。(理解したいかはまた別の話ですが)

それは大前提に、「自分の気持ち」、「他人の気持ち」とはなにか?ということを最近になってようやく理解できてきたからです。

この話は「心の起源」にさかのぼってしまうので簡単にだけ説明をすると、「自分の気持ちとは他人の気持ちを想像している過程で生まれたもの」という説があります。

犬にはきっと「自分の気持ち」がないであろうと考えられていますが、それはどういうことかというと、犬にはまず「自分」がありません。

目の前の食べ物と繁殖相手、その他の知覚できる外の世界が犬の現実で、

・食べ物があったら→食べる

・繁殖相手が見つかったら→アプローチする

・敵が見つかったら→逃げる、吠える

基本的に外の世界のものに「リアクション」をするというのが犬の日常で、そこには生きていく上で「自分」が存在する必要が特にないからです。

話を人に戻して、人は個体が弱いために協力する必要があり、そのためにはまず、(自分よりも)「他人の気持ち」を想像する能力が種の存続に必要でした。

そのためまず、

・「他人の気持ち」を想像し理解し

・そこから相手の要望や拒絶を理解して行動する

という能力が発達しました。

そして自分の周りにいる「他人の気持ち」を想像したり検証している過程で、それらの集合体が、「こういうときはこう感じるもの」という「自分の気持ち」の誕生につながった、という説です。

つまり「自分の気持ち」よりも先に「他人の気持ち」があったのでは?という考え方です。

人の場合は一番最初の他人はほぼ母親なので、「自分の気持ち」の元は、「母親の気持ち」になるかもしれません。そして今現在、自分が「自分の気持ち」だと思ってるものは、自分がこれまでに出会って吸収してきた「他人の気持ち」の集合体であると言うことができます。

整理すると、

・まず「自分の気持ち」よりも先に、「他人の気持ち」が人間には必要であった

・「自分の気持ち」は「他人の気持ち」を自分もそういうものとして受け入れてきた結果、生まれたものである

と考えられるのです。

「他人の気持ち」がわかるとはどういうことか?

ではそれを踏まえて、「他人の気持ち」がわかるとはどういうことか、もっと話を限定的にするために、「相手の気持ちがわかる」と思うと思えない時の違いはなんだろう?と考えてみます。

「相手の気持ちがわからない」の逆、つまり「相手の気持ちがわかる」と、”感じている時”というのはどういう時かというと、先ほどの気持ちの起源説からして、それは「他人の気持ちがわかる」というよりも、

今持っている「自分の気持ち」リストの中から、「相手の気持ち」を想像して、「大体これだろう」と当てはめてみて、当てはまったらそれが「他人の気持ちがわかる」と、”感じている時”です。

逆に「相手の気持ちがわかる」と、”感じられない時”というのは、

今持っている「自分の気持ち」リストの中から、「相手の気持ち」を想像して、「大体これだろう」と当てはめてみるのだけど、どうやら当てはまらなそう、という相手の感情に触れた時です。

つまり、「他人の気持ち」がわかるかどうかは、"それが自分が既に知っている気持ち(=「自分の気持ち」リストの中に含まれている)かどうか"でしかないと考えることもできるのです。

他人の気持ちは、探しても見つからないことがあるのが当たり前

何が言いたいかというと、他人の気持ちを知ろうとする時にぼくらがしていることは結局、自分の気持ちの中から該当する気持ちを探してるに過ぎないってことです。

もしその「他人の気持ち」を自分自身が「知らない」のなら、それはどうやって「探す」んでしょう?

「探し物はなんですか?」と聞かれても、それが何かを「知らない」のに探せるはずはなく、だから見つかるはずはないんですね。

つまり、理解できない他人の気持ちがあるということは、当たり前すぎるくらい当たり前なのです。

こうして、「わからなくて当たり前」と思いながら相手のことを見ていると、だんだん「相手の気持ち」というのが「自分の気持ち」リストに加わるかもしれません。

そのとき「相手の気持ち」を理解できたと感じるかもしれません。

理解したいかはまた別の話として、「相手の気持ちがわからない」と思い悩んだ時は、そもそも「他人の気持ち」を理解するということのイメージを疑ってみるといいかもしれませんね。


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