器用貧乏だと思っていたら、ただ不器用なだけだった
器用貧乏なんて言葉がなんであるのだろう。器用な人は大体金持ちだ。器用なのであれば世渡り上手であり、世渡り上手はあらゆることをお金に換える術を知っている。
器用貧乏とはきっと、偏った人が目立つ社会においてそういった人たちへの憧れから自嘲的に己を揶揄した言葉か、もしくは世渡り上手に腹が立つ不器用な人たちがつけたなんくせみたいなものかもしれない。
ぼくは自分を器用貧乏だと思っていた。さて自分のことを器用貧乏だと思っているとはどういうことか、もう少し考えてみよう。
まず熟語の前半部、【器用】であるということ。器用であるということは大きく分けて「細かい手作業が得意」、という意味と、「要領が良い」の2つの意味があるようだ。
一般的に「器用な人」というときは後者の意味で使うことが多いように思う。前者の意味で使う場合はわざわざ「手先が」とつけることが多いからだ。すなわち器用な人というのは要領が良い人ということになる。
次に、熟語の後半部、【貧乏】だが、これは経済的なことだけでなく物事が大成しないことを指しているようだ。
つまり【器用貧乏】とは要領だけはいいが何も大成をしない人のことを指していることになる。
これで次からは「私は器用貧乏で、、(笑)」と言っている人のことを「私は要領だけはいいんですが何も大成はしなくて、、(笑)」と言っているのだと解釈することができる。
だがここまできて、ぼくが自分を器用貧乏だと思っていたという説に疑問が生じてくる。
後半の「何も大成はしなくて、、」はなんとなくまあそうな気がするのだが、「私は要領だけはいいんですが」がどうにもしっくりこない。しっくりこないというより、歳を一つ二つと取るにつれて、どう考えても自分の要領の悪さが目につくようになった。
確かに若い時は自分のことを要領いいと思っていたかもしれない。けれどそこそこいい大人になるにつれて、どうやら本当に要領がいい人たちというのを目の当たりにし、そして自分の要領の悪さが引き起こす数々の問題に打ちひしがれているうちに、自分のことを「要領がいい」なんて思うことは無くなったのである。
ぼくは要領が良かったのではない。要領がいい自分でありたかっただけである。つまりぼくは器用貧乏ではなく、本当は不器用だったのに、若い時あるあるのセルフイメージと理想の混同によって、自分のことを器用貧乏だと勘違いしていたのではないだろうか。
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