父との思い出。その年のお年玉は「ツインビーを買う」はずだった。
あれはたぶん、僕が小学校4年生か5年生の時だ。その年の冬、お正月を迎え、お年玉を握りしめてデパートのゲーム売り場に行った。
10歳だったとして1985年。世の男の子のお年玉の使い道は、ファミコンのカセットを買う、の一択だった頃。
ファミコン通信なのか、マル勝ファミコンだったか、それとも別の何かなのか、どうやっていろいろなゲームの発売日や情報を入手してたのか、いまや謎ではあるが、僕はその年のお年玉は「ツインビーを買う」と決めていた。
ツインビーは縦スクロールシューティングゲームで、ポップなキャラクターとポップなミュージックで、その後シリーズ化もされる超有名人気ゲームだ。おそらくなんかしらの雑誌などでこのツインビーは大プロモーションされていたんだろうし、きっと評価も高かったんだと思う。
お正月を迎え、順調にお年玉も手に入れ、商業施設も動き出した3日か4日か、地元のデパートのゲーム売り場に連れて行ってもらった。
とにかく僕はツインビーを買うと決めていたから、あのコナミと一瞬でわかるオレンジ色の箱を見つけて、店員さんに、ツインビーをください、と言うだけだった。
ありましたよ、ツインビー。
みんな知ってるオレンジ色の箱で。ショーケースの(たぶん)ど真ん中に「人気ゲームです」という顔で、それはそれは輝いていた。
欲しくて欲しくてたまらなかったツインビーを見つけて、店員さんに「これください」というだけだったその時、ショーケースの(たぶん)一番端に、ちょっとアメリカンなイラストの、悪と戦うかっこよさそうな男の姿の、そんなゲームが目に入った。
そのゲームの名は「カラテカ」
ここから何が起こったのか、誰かに流されたのか、真相はいまだにわからないが、僕は、なんとカラテカを買っていた。欲しくて欲しくてたまらなかったツインビーではなく、なんの情報もなく初めてお店で箱を見ただけのカラテカを買ってしまったのだ。
とはいえ小学生なので、新しいファミコンカセットを手に入れた僕は、おそらくニコニコワクワクだったと思う。家につき、テレビをつけ、ファミコンの準備をして、カセットを取り出す。電源を入れ、ゲームスタートするまでは、、、。
そこには、欲しくて欲しくてたまらなかったツインビーのポップな世界とは真逆の、小学生にはダークな薄気味悪い世界が待っていた。
そしてなにより、全然面白くなかった。
小学4年生の僕、泣きました。
たぶん相当泣きました。
僕の記憶上、最初の後悔をしました。
かなり暴れました。親にも当たった気がします。「なんで止めてくれなかったのか!」と。「返品してきて!」とも言った気がします。
なんであんなに欲しかったツインビーを買わなかったのか、悲しくて、悔しくて、情けないような、たぶんそんな感情を吐き出し疲れ、そのまま寝ちゃったような気がします。
カラテカ話はまだつづく。
次の日、たぶん土曜にだったかな。冬休みが終わり、始業の日だったと思う。学校に行っても「カラテカ」を買ったことは誰にも言ってなかった。まだまだ前日の悪夢をひきづった、とにかく憂鬱なまま午前中を過ごし、失意の小学4年生は家に帰った。
だが、家に帰ると、いつも僕しか使わない、ほぼゲームのためのテレビのあたりに人影があった。僕の帰宅を感じたのか、扉の向こうから「なおやーーーー、きてみれーーーー」と父親の声がした。
テンション低く扉を開けると、父は僕に言った。
父「ちょーどいい時帰ってきたな、ほら、最後のボスだぞ。お父さんずっとやってたけど、結構面白いなあ、これ。」
いつもファミコンなんかしない父親が、あのカラテカで最後のボスと戦っていたのだ。
それを見た時の自分の感情はよく覚えていない。
何回やったのかもわからないし、ボス戦の前でどれくらいの時間、僕の帰りを待っていたのかもわからない。結果、ボスを倒したのか、負けたのかも覚えていない。
僕はひねくれていて、カラテカを買った記憶を消したかったから、その辺の話も一度も父親に聞いたこともない。父親も真相は言わなかった。
でもなんとなく、昨日泣きまくった僕のためにカラテカで遊んでくれてたんだ、ということは小学4年生でも、さすがにわかった。
自分じゃないけど、買ったゲームで遊んでくれる人がいて少しだけ心が救われた気持ちになったことも、しっかり覚えている。だってお年玉で買ったから。
カラテカは僕にとって、決めたことからブレちゃいけないよ、ってことを教えてくれた。そしてツインビーは僕にとって永遠に憧れる崇高なゲームとなり、父との特別な思いを呼び起こすトリガーになった。
そんなぽんぽんファミコンカセットを買えるような環境ではなかったので、友達の家でツインビーをはじめてやらせてもらったときには、本当に楽しくて嬉しくて。その後、ゲームボーイでファミコンミニ・ツインビーが出てときには即買いしたなー。
時は流れ、僕も父親になり、いまは4歳の娘とマリオカートにハマっている。まだ4年だけども、この先もずっとそっと優しいパパでありたいと思い、マリオカート、娘とのレースは最後の1周で必ず追い抜かれて負けている。
2020年6月21日、父の日に向けて。
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