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小学校 プール ミッキーで検索 再掲:ディズニーの大人の対応と手塚治虫

弁護士jpの記事とは思えず反論します。

ディズニー社が「消さないと訴える」学校プール底に描かれた“ミッキー”削除要求…日本の小学生にトラウマ与えた「都市伝説」の真実(弁護士JPニュース) - Yahoo!ニュース

「世界のディズニー」と「世界の手塚治虫」の接点が中心の約4500文字のnoteです。

極めて貴重な内容ですので、ぜひ時間が許す時にお読みください。生涯忘れなくなる一文があるかもしれません。

 「公有水面という国民の共通財産を埋め立ててつくった土地を使用する私達には、国民に喜んでもらえる施設を造って企業の社会的責任を果たしていく責務がある。」

ディズニー・テーマパークの魅力-「魔法の王国」設立・運営の30年 

上澤昇㈱オリエンタルランド元副社長著  実践女子大学生活文化研究室 

2008年の11月、私は中国地方のある祭りの主催者である青年会議所で「ディズニーランドに学ぶホスピタリティ」という演題で講演を行いました。その講演後に役員の方から素晴らしい話を聞かせて頂きました。それはこういうものでした。

 私たちは、祭りにミッキーマウスを登場させたい(ぬいぐるみを製作したい)とディズニー社にお伺いしました。答えはノーでしたが、最後にこう言われました。「子どもたちの夢を壊さぬよう、作るのなら本物そっくりにして欲しい」。その言葉に感動するとともにディズニーの桁違いの大きさを再認識しました、と。

 東京ディズニーランド開園当時から運営に携わった人間として大きな喜びの念を禁じえなかったと共に、「大人のディズニー」に改めて感銘を受けました。その「大人のディズニー」について書かせて頂きますが、引用が多くなることをお許しください。

 「週刊金曜日」2000年11月3日号 「東京ディズニーランド特集」の中から以下の文を引用、紹介します。Aは㈱オリエンタルランド広報部の回答です。
<引用開始>

1987年滋賀県大津市の小学校で、卒業記念に男子児童106人が2ヶ月がかりでプールの底にミッキーマウスを描いた。ところが、ディズニー(日本ウォ ルト・ディズニー・プロダクション)から抗議を受けて生徒たちは作品を塗りつぶすことになった。ディズニー側は「他人の権利を知る教訓になったと思う」とコメントした。この事件は「子供たちの夢を奪った」「著作権から見て当然だ」「許可を出した学校側に問題がある」など論議を呼んだ。

Q.大津の小学校プール事件は、ちょっとひどい話ではないかと思いますが。 

A.これはやはり版権に対する考え方の違いがあると思います。たとえばノートや黒板にミッキーマウスの絵を描く、学芸会や文化祭で展示するのであれば何も問題はありません。ただし、多くの人たちが目にするようなプールにディズニーのキャラクターをデザインとして描いてそれを小学校がアピ-ルに使ったわけですから、看板に値するものとディズニー側は判断しました。もしこれを認めると、他のケースでも認めなければならなくなってしまいます。ただし、これには後日談があります。ディズニーが彼らを全員、東京ディズニーランドに招待して、彼らはみんな「やっぱりディズニーランドはすばらしい」といっていたと聞いています。

確かに、数年前小学校のプールに描かれたディズニーキャラクター(ミッキーマウスと思われる)を消すように求めた訴訟を起こし、ディズニー側勝訴となり、消させた事は事実。ただし、ディズニー関係者のコメントとして「事前に許可を求めてくれれば、(無償あるいは格安で)認めるケースであったのに残念だ。」とありました。「残念」とは、無断で著作権を侵害された件について、追認する訳には行かない、ルール違反に対しては厳しく当たらざるを得ないという事です。
<引用終了>
※週刊金曜日様から引用の許諾を得ています。
 
次は、手塚治虫とウォルト・ディズニーの関係について 

2018年2月8日のテレビ朝日の朝の番組における池上彰のニュース検定は「2月9日は手塚治虫死亡30年」がテーマであり、池上氏はこのように解説されていました。

 手塚治虫は鉄腕アトムなどのアニメは映画を製作するため、ウォルト・ディズニーとアメリカ出会った時に「鉄腕アトムを知っている」とウォルト・ディズニーに言われた。
<終了>

8年連続でアカデミー賞を受賞したウォルト・ディズニーが日本の漫画家の作品を知っていたとは・・・。さすが「世界の手塚」です。このような文も残っています。

 『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!』 馬場康夫著 講談社より引用します。
<引用開始>

「ディズニーさんとぼく」 

こういう題をかきましたが、ディズニーさんとはあったこともないし、だいいち、ぼくとはおやこほどとしがちがいます。

でもぼくは、ディズニーさんを先生というより、おとうさんのようにしたっているし、大すきなのです。

ディズニーさんの映画でなんといってもいいのは、どの映画も、よわいものや、ちいさなもののみかたになってつくられていることです。それから、もうひとつ、どんな悪者がでてきても、かならず心の底に、なにかやさしさと、したしみがかくれているからです。ぼくは、バンビやわんわん物語が大すきなのですが、マンガ映画で、涙がでてきたのは、けっしてぼくがおセンチのせいではないでしょう。

ディズニーさんのえらいところは、世界じゅうのこどもたちのために、映画だけではなく、いろんなおもちゃや、遊園地をつくって、自分の夢をどんどん実現していったことでしょう。

はじめは、とてもまずしかったそうです。おくさんと、豆ばかりたべながら、ミッキーマウスをつくった話をきいていますし、白雪姫ができあがったとき、一文なしになって、みすぼらしいかっこうをしながら、白雪姫の映画館のまえの、お客の長い列のうしろでじっと立っていた話も聞いています。お金もうけのためや、じぶんの名まえをうるだけのためなら、とてもできないことです。でも、世界じゅうが―日本でも―ディズニーさんがやりとげたことを、あとから、どんどんまねしはじめました。ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。

このあいだ、ディズニーランドのまねをした、遊園地へいってきましたが、なにからなにまで、ディズニーランドそっくりなのですが、なにか、ひとつものたりないものです。見おわって、そのたりないものがなにか、やっとわかりました。こどもたちへの愛情だったのです。つまり、ほんとに心のそこから、こどもたちのためにつくったものではなかったのです。

ディズニーさん、どうか長生きして、もっともっと、世界じゅうのこどもたちをよろこばせてください。
<引用終了>

決して<中略>を入れられない文章、さすが手塚治虫です。 

この本にはこのようにも書かれています。

<引用開始>
「ディズニーの国」という、ディズニーのいわば公式雑誌に手塚が寄せたこの一文は、軽やかな文章とは逆に、その内容はとてつもなく深く重い。特に「ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。」という一節には、心を動かさずにはいられない。なぜならそれは、手塚治虫が、ウォルト・ディズニーは「好き」で真似した相手を訴えたりするはずがないと、心から信頼していた証拠だからだ。

 そもそもディズニーの長編アニメの大半は、世界の有名なおとぎ話のリメイクである。
<中略>
エンタテイメントは、先の時代を生きたクリエーターの愛と信頼に基づく模倣の積み重ねであることを、シェイクスピア以降、誰よりも明確に示したのは、ウォルト・ディズニーその人であった。ディズニーランドのアメリカ河に浮かぶ、トム・ソーヤ島やマーク・トウェイン号を見るたびに、私たちはマーク・トウェインの作品に憧れ、模倣し、それを乗り越えたウォルトの、マークに対する心からの尊敬と愛情を感じて、微笑せずにはいられない。
<用終了>

東京ディズニーランドが開園する前夜のことです。

私には、前夜ショー開始前に、ワールドバザールを歩く手塚治虫氏の姿を忘れられません。

 ひょうひょうと歩いているのですが、何かスーっと姿が消えてしまいそうな「現生の人」ではないようなオーラを感じました。ウォルト・ディズニー同様に天国でお会いしたい一人です。

 シリアスな話になります。

 2012年6月2日 朝日新聞特集記事より

<引用開始>
手塚さんは、別の自伝「ぼくはマンガ家」で、敗戦直後、米兵に殴られたことを明かしている。泣き寝入りするしかなかった。青春時代に直面した差別だった。そして記した・厭(いや)な思い出はぼくから頑強に離れず、しぜん、ぼくの漫画のテーマにそのパロディがやたらと現れた。

 科学技術万能主義に対して 

「ロボット技術をはじめとする科学技術がいかに人間性をマイナスに導くか、いかに暴走する技術が社会矛盾を引き起こすかがテーマになっている
<引用終了>

 手塚治虫の長編漫画に限らず短編漫画を読むとき、氏が現代の日本や世界に警鐘を鳴らしていたのだとひしひしと感じてしまいます。

 最後に、朝日新聞「ルポにっぽん」2008年12月30日朝刊一面・二面より引用文を紹介します。冒頭の「公有水面という国民の共通財産を埋め立ててつくった土地を使用する私達には、国民に喜んでもらえる施設を造って企業の社会的責任を果たしていく責務がある。」という東京ディズニーランドの最高運営責任者のこの一文が、開発理念が具現化されている特別な場所であることを深く理解して頂けることと私は確信しています。

「不況ミッキーを求めて」

「居るだけでいい」癒しの聖地

「お上」より信じられる 

<引用開始>
ミッキー人気が世界に広がったのは1929年に始まる世界恐慌の大恐慌の時代だと、これは10年前に米ディズニー本社で当時の幹部から聞いた。つらい時代、人はミッキーに癒されたのだ、と。そして今、日本は「未曾有の」なる言葉が飛び交う苦境にある。経済ばかりではない。首相は立て続けに政権を放り出し、霞が関は年金問題の不始末その他でいかにも頼りなく、良くも悪くも日本を回してきた「お上社会」はお上総崩れで立ち行かない。

<中略>

安心、安全、質の良さ。ディズニーというブランドは、お上が失ってしまったものを一手に引き受けている感がある。今や公的機関の色さえ帯び、その信頼度は群を抜く。

書店には「ディズニーに学べ」式の本が並び、ディズニー主催の企業や団体向け研修会に官庁職員も来る。
<中略>
「この場所に居るだけでいい。周りはみんな笑顔だし癒されますよね」

年一度、必ず来ると決めていると二人は言った。これはもう幸せの確認作業、TDLはある種の神聖さを帯びてそうした人々を引き寄せる。
<引用終了>

最後にこの一文を
「仕事をレベルアップしたいと思うなら、自分ひとりで何もかもはできません。アイデアは、それが誰のものかなんて気にしませんし、どこから来たのかも気にしません。ただ、使われ方を気にするだけです。ひとのアイデアをどんどん取り入れてください。」
『ディズニー7つの法則』トム・コラソン著 日経BP社刊

 

 

 

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