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幸せも不幸も一緒同盟


「わたしなんて、人のことより
もう自分のことを楽しみたいって思ってんのに。」

「まだこれからも人のことをやるっていう
そのエネルギーは何処から湧いてんの⁉️」

福岡空港と
地元のスタバで
貴重な学生時代の友人2人から
同じ事を言われた36歳の夏。


その友人達は、
今の所 子どもを持たない人生。


学生時代  破天荒だった私が
20歳から続けて3人出産して母になったことを
いつも面白がってくれていた。


彼女達はそういえば2人ともB型。

基本がマイペースなB型からしたら
子育てをしながら、人の悩みを聴く仕事をする私は
結局色んな意味で“気がしれない変わり者”の様に
写っている様。

北海道一年目のほろ苦エピソードや
赤ちゃんだった息子が反抗期に入った話とか
子育てが楽しくなってきた話をすればする程
彼女達は困り顔の笑顔で
私を見つめる。


私の黒歴史を知る彼女達に
真面目に子育てをしながら生きてる姿を見せるのは
私だって、恥ずかしくもある。



地元のスタバには
丁度、私達が出会った時と
同じ歳になった娘も連れて
3人でコーヒーを飲んだ。

娘がする他愛のない話を聞きながら
「でもママは本当ハチャメチャだったからね。」
と友人。

「たしかに~!」と娘。←いや知らんだろ

私をイジっては楽しそうに話す2人の姿を見て
うまく言い表せない嬉しい気持ちになった。




自分ではかなり大真面目に生きてるつもりでも
この人達に会うとやっぱり笑われる🙄

その度に
力が抜けるような
悔しいような。。

彼女達からは、励ましとか労いとか
人がよく欲しがるそういうものを
要求されることが10代の頃から無い。

だから私に対しても
見たままの事実を
嫌味なく、容赦なく、述べてくる。

私より何枚も上手で
「敵わんな~」と思ってしまう。

.

.


とは言っても
俗にいう【友達】という言葉に含まれる人間関係が
この歳になっても、まだぎこちなく
非常に曖昧なまま

まぁ、これを明確にする必要も
あまりないのかもしれないが

“友達”というものは
年齢や境遇や変わりゆく人生観の中で
大いに変わっていくと思っている。


地元に帰ったからとて
会えない時、タイミングじゃない時がある。

そういう時の
“会えなかった後ろめたさ”を軽くすることが
これから私ができたらいいなぁと思うこと。

フリーランスの仕事をしてきたこともあって
面識や関わりを持ってきた人間関係は
他の人より広いかもしれない。 

その中で、色んな想われ方をしているのは
感じ取ってはいるけど

私をスペシャルな眼差しで見て下さる人も愛しいし
カジュアルに想って下さる人も
こうやってイジりながら笑ってくれる人も
みんな愛しいのだ。

.

ここまでは、私の人間関係を書いてきたが
ここから少し、核心に迫っていく。



子どもの頃からだったけど
“友達”という言葉があまり好きではなかった。


何故だろう?と、今回敢えて考えてみたら

その言葉に
“暗黙の束縛感”  
“気移りを許さない感” 
”同盟感“
そんなものを感じていたことが分かった。

.

.

人間関係の悩みは尽きない。

私の所に悩みを寄せて下さる人達の年齢層は
10代~60代と幅広いが
どの年代も、結局は人との関係で悩んでいる。



中でも、学生からの悩み相談は
やはり友達との関係。

歳をとると、誰と仲良くするかが
ちょっとだけ自由になる。

でも、10代はその縛りがかなり露骨で
自由が好きな子どもや
気が多い、気移りしやすい子どもなんかは
異物扱いされ
最悪に生きづらいと思う。

 


女子校生たちからよく聞く悩みは
「自分が彼氏と別れた時
親友が親友の彼氏とうまくいっていて
なんかそれが無性に腹が立って…」
と、この感じ。

おいおい、ひどいなソレ😅である。



まぁ、30代40代の
子どもがいる.いない問題
未婚既婚問題も似たものがあるが


幸せも不幸も一緒同盟みたいな
恐ろしい同盟からは
何歳だとしても
勇気を出して離脱すべきである。


.

【友達】という名を持って
安易にプライベートに侵入し
何でも同じでいようと図る生き方は

仮に、その人が何歳であっても
益々この時代には合っていないと私は思う。

結婚した年齢
産んだ子どもの人数
所有物のレベル
見た目の違い
年収の違い
学歴の違い
好みの違い
色々あるが
そこには、ほんとうは優劣は無い。

あまりに境遇が違い過ぎる者同士は
うまくいかないケースが多いが
幸せの競い合いほど
見苦しいものは無い。

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同学年、同級生、同期でも
生まれる時に設定してきた人生はバラバラ。


「周りが結婚して子どもを産み始めたから
かなり焦るんですけど…。」
という相談は、
いつも同じでいたがる象徴的な事例。

耳にタコができるほど聞いてきたが
同級生が結婚したら
近いうちに自分も結婚すると仮定している考えを
申し訳ないが、頭っから斬ってきた12年だった。


社長になって豪邸に住む人生の人もいれば
国の援助を受けて慎ましく生きる人もいて
バツ3で子だくさんママが企業しているケースや
1人のパートナーと生涯寄り添って生きる女性
かたや、男性を知らないままの女性もいる。

だけど、その人達が
その境遇や得ているものがどうであれ
それが幸せと直結しているかどうかは
定かではない。

それが人生の面白いところ。


もし、うっかり無意識に
誰かと結んでいた
同盟チックな縛りが重たいなぁ…と感じ始めたら
是非、サラッと離脱を。


相手を縛っている時
たいていは自分も自分の可能性を
かなり抑制していることが多い。

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10代はこの呪縛にもがくことも
人生の洗礼のひとつかもしれないが
歳を重ねる度に
私達は、この呪縛から自由になっていい。



周りが結婚したからといって
次々子どもを産んだからといって
本当は、ビクともしなくていいのにね。
 


ただ同じ世代に生まれただけで
みんな、向かう先が違うことを
もっと早い段階で教えられる
世の中になればと願うばかり。

願うばかりで人任せにせずに
小さくても自分にできることから
動き出したいと思っている。


時代的に、ご時世的に
オカシイ事を【オカシイ】と感じ取るには
勇気がいることだか
違和感を無視して大衆に紛れて生きることは
死んだも同然。

.

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さて、新学期が始まる。

見た目、生い立ち、経歴、価値観にも
人と違うことや
均等にはなれないこと
どうしてもはみ出しちゃうことがあっても
ほんとうはソレを
喜んでいいことなはずなんだから。


突然、不登校になっても
子どもの人付き合いが変わっても
親として喜べない進路に進むと言い出しても
他所の子が我が子より凄く成長していても
気にしない、気にしない。


他と違う我が子をよろこぼう。

Asami

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