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叔母を偲ぶ
以前昨年5月にnoteに綴った、
療養していた叔母が
6月の末にこの世を去って半年が経ちます。
"その時"を迎えるまでと、迎えてからの
5月〜7月という時間は
あらゆるタイミングや悲しみや感動を含め
ドラマチックすぎることの連続で、
人の一生とはまさに
「ひとつの作品」という事を感じた
強烈に学び深き時間でした。
叔母自身の強い意思で、
人生最後の場所は宮崎がいいと決め
叔母の息子たちである従兄弟たちの理解もあり
姪の一人として、とっても近くで
大満足のお見送りをさせてもらえました。
叔母という人は、昔からとても人格者でした。
親戚の中でも一目置かれて指示される人で
いつも、どんな時も、
人をゆるす人だった。
世間では嫌われるような人や
"自業自得だ"と嫌味を言われそうな人、
または弱い立場の人にも
いつも優しかった。
決して甘ったるい愛しかたを
するような人ではないけど、
平等であり不動の味方のような存在。
母の愚痴をこぼしても
夫の愚痴をこぼしても
私だけを擁護するわけでもない
絶妙なバランス感覚のある人で
心おきなく愚痴を吐けた。
家族のことで「チクショ〜!」
という事があると叔母に電話しては
「それはアンタの問題ちゃうの?」
「とは言っても、あの○○くん(夫)を怒らせた
アンタがあかんやろw」
「それ一年後には忘れてるくらいの話やわ。
気持ちは分かるけど大した問題ちゃうわ。」
という決め台詞をもらって
襟を正して気持ちをリセットするのが
定期的な私の習慣でした。
・
いつもタフで気丈だった叔母だっただけに、
宮崎での療養が始まり
みるみる弱っていく姿を見ることは
とても切ない時間でした。
決してそう長くはない
限られた時間であることは
叔母自身にとっても私達にとっても
とても明らかなことだったからこそ
お互いにその瞬間瞬間を
かなりの密度で生きていて、
叔母に伝えたいことや後悔したくないことを
惜しまずやりきりました。
6月に入ると食べれるものも減ってきて
会話をするのもやっと…という具合になり
常に鼻から酸素を注入していないと
気が置けない状態。
きっとだいぶキツかったと思うけど、
そうなってからも
私を見るとハイタッチみたく片手を上げて
私もその手を握り返すのが恒例になっていた。
・
毎日のように叔母の元に行っていたけど
ある日私に向かって、
ベットから手招きしてきた。
「何か飲みたい?」と
急いで駆け寄ると
首を振って小さな声で"ちがう"と言われた。
「どうしたの?」と聞くと
かすれるような声で何かを話し始めたから
抱きつくような体制で
叔母の口元に耳を近づけると
「あのな、あんたには○○くん(私の夫)が
ほんまちょうどいい相手やと思うよ。
○○くんしかあんたの相手は無理やわ。
あの子はほんまにええ子やで。
これからも大事にせなあかんよ。」
「どんなことも、起こることは
全てちょうどいいことしかない。
こうなってつくづくそう思うわ。」
「ほんまやで。」
そう言って、
痩せた手で私の手を握って
頷きながら微笑んでくれた。
その時期、
特段夫のことで悩んでいた訳ではなかったから
いきなりどうしたんだろうとは思ったけど
少しでも話せるうちに、
何か私を励ましておきたいと思ってくれたのか
軍神の力を絞って伝えてくれたことが
すごく嬉しかった。
・
・
その後、叔母は日を追うごとに
まるで花瓶に活けた生花が
少しずつ枯れていくように衰弱していき
私たちは毎日毎日、覚悟をしながら
粛々と過ごしていました。
とんでもなく饒舌だったあの関西弁も、
細〜い一重でこっちをギロッと睨む目も
もう寂しいくらいなくなって
静かな時間が続いていたある時、
この身で叔母に触れられるのも
叔母から私を私だと認識されるのも
もう残りの時間は数える程しかない…
そう感じて
ベットに寝た、やせ細った叔母を
ハグをしたんです。
元気だった頃の叔母には
恥ずかしくてできなかったけど、
これをしないと私も成仏できないと思って
思わず抱きついた。
「おばちゃんの姪っ子で本当に良かった。」
「大好きだよ。」
「また必ず会おうね。」
泣きじゃくりながらそう伝えた時
まさか、ハグを仕返してくれた。
「ありがとう…」
「また必ず会おうな。約束やで」
そう言いながら
あれから更に薄くなった手で、私の背中を
何度も両手でトントンしてくれた。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて…
まるで子どもの頃に戻ったようだった。
これから旅立つ人の胸の中で
わーわー泣いてしまって
後から恥ずかしさがこみ上げたけど
生きている時に、
「また必ず会おうね」と言い合えたことが
今も私を支えてくれていている。
・
私の母の兄妹は8人兄妹で
その中の末っ子の叔母と母、
そして叔母の三男の3人とで
「チーム3」というチーム名をつけて
在宅介護で最後まで看取る覚悟の下、
共同生活を送っていた2ヶ月余り
その覚悟を叔母が汲み取ったかのように
お医者さんも看護師さんもいない時間に
チーム3の3人に見守られながら
大阪の叔母は穏やかに息を引き取りました。
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その後、叔母の願いと計画通り
葬儀は伊丹で行われ
芸能人?なくらいたくさんの方々が
弔問に来てくださり
数年前から準備していたらしい遺影が
遺影だけに「イェイ✌️」😂と
笑いかけてきたようでした。
エンディングノートに則り
息子たちの完璧な手配の中
お手本のような葬儀にあっぱれ!な最後。
"参りました"の一言です。
・
ただ最後の日、火葬を迎えることが
ただただ寂しかった。
3日前まで意識があり触れていた
叔母の手や身体が
目の前で真っ白な骨と粉となり
淡々と拾って骨壷に入れたけれど
本当は叫びたいくらい寂しかった。
どんなに我慢して生きても
どんなに楽しんで生きても
どんなに人と憎しみあったって
どんなに人と愛し合ったって
最後は等しくこうして粉々になる
人間の性。
だとしたら、
私は残りをどう生きていたいか…
叔母のお骨を拾いながら
頭を巡らせた。
それから以降、
迷いや悩みが浮かんだら
あの場面が頭に浮かぶ。
「悩む→無難にやめとく→我慢→お骨」
のルートじゃなくて、
「悩む→勇気出して挑戦→お骨」
のルートでお骨になりたい
そう考えさせてくれた叔母に
毎日感謝しています。
.
.
ちょっと話が変わるんですが、
北海道から宮崎に戻ることになったと
報告の電話をした一昨年のある時、
「うわ〜これであんたも私の葬儀に来れるな!
めっちゃちょうどいいタイミングやわ〜」
そう言われて、
「いやいや不謹慎な!まだ死なんでよ!」
と笑い飛ばすしかなかったけど
内心、この流れは完全に
フラグ回収することになることを
悟った瞬間だった。
"未来って、やっぱり決まってるよね…"
と思ったんです。
どういう事かっていうと、
【アサミ帰郷→叔母の病状が悪化→お別れ】
という、過去から未来にむけて
時間が流れているんじゃなくて
【お別れ→叔母の病状が悪化→アサミ帰郷】
という風に、
決まっている未来に帳尻を合わせるかの如く
今起きることが決まっていくんです。
叔母の口癖であった
「すべてが丁度いい」となる理由は明確で、
終わりから逆算しての今であるからこそ
無駄なく丁度いい事が起きてくれてるから。
・
″強い意志や努力こそが未来を変えるのだ!″
という信念で生きている人からしたら
「未来は決まっているんだぜ」という話は
水をかけられるような話だと思う。
でも、強い意志と努力さえすれば
未来や人生が変わるのなら
もうとっくの前に
お望みの人生が生きれてるはずじゃない?
ただホントのところ、
意志と努力だけで
人生が成り立っているわけではないことを
みんな薄々感じていると思います。
人間の知りえない何かが
地球という星を、
強いては宇宙をも管理している・・・
信じるか信じないかは
あなた次第🫣
という、
想定外の終わり方を迎えたわけですが笑
これをアウトプットせずに
新年が進んでいくのは気持ち悪いくらい
私の中では大きな出来事だったので、
だいぶ時差がありながらも
投稿してみました。
・
身近な叔母の闘病からの死を経て、
"死ぬことは美しいことなんだな"
という感覚になっています。
死は恐怖のままでもいいんですが、
こうして見届けた側の視界には
恐怖というよりも、"美"として遺っていて
そのお陰で死に対するイメージが
随分塗り替えられました。
たまに湧き上がる寂しさも
大切な姉を亡くした母の姿も
母親を亡くした4人の従兄弟たちの姿も
何というか、儚く美しく感じるんです。
もうそこに居ないのに
居たことを想いながら皆が生きていくって
とても切なくて綺麗。
命って
生きていても、亡くなってからも、
ただただ美しいものなんですね。
・
これから身近な人を見送る方や
今まさに大切な人の介護に疲労している方など
これを読んで、別れに対する恐怖心が
少しでも拭えたら嬉しいです。
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亡くなる前に書いてもらった「天」は宝物。
とてつもなく長い記事でしたが
最後まで読んでくださり
ありがとうございました☺️🙏
おばちゃん、ありがとう!
またどこかで必ず💐
ほんまやで!
Asami