【甘やかし】のホントのところ
人生相談を聴く仕事をしている私は
老若男女の色んな物語りの一部を
垣間見ることが日常。
最近はめっきり
子どもとの関わり方についてや
家族、夫婦の関係についての内容が増えて
子育て、家庭人の現役である私としても
興味深い内容や家庭環境、家族展開が沢山ある。
さて、今日のタイトルは
【甘やかし】にまつわる話。
子どもとの関わりの悩みで
よく女性の口から出てくるのはこんなセリフ。
「随分甘やかしてきたからこうなった。。」
「甘やかしたつもりなのに、
まだ愛が足りないのかしら?」
「息子はまだ甘やかして欲しがってるのか?」
ふむふむふむ…🤔
こうやって聴いていると
“甘やかしが悪かった”と思っている人と
“甘やかしは愛情だった”と思っている人に
だいたい分かれる。
皆さんは【甘やかす】について
どっちの印象を持っていますか?
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私は色んなタイプの家庭や子育ての話を聴いて
【甘やかし】について共通して感じること
それは、
甘やかしは子どもを信用していない状態
だと言うこと。
子どもを甘やかす時の母の心情は
“この子はできないだろうから”
“何となく可哀想だから”
“どうせやらないだろうから”
“きっと無理だろうから”
…といった具合。
まさか自分が子どもを信用していないとは
思ってもいないと思うが
子どもを「心配」はしても
「信用」していない母は、実際沢山いる。
まとめると、
子どもが可愛いくて甘やかした訳ではなくて
子どもを信じれないから手を放した状態が
“甘やかし”かもしれないと
思うことが私の中で増えた。
信じることを放棄した状態。
それが【甘やかし】のホントのところかもしれない。
・
こうして子育てのことを書いていると
人のことばかりを指摘しているように
見えるかもしれないが
これは私のダメ母15年の経験が土台にあってこそ
理解できることであることは知っていて欲しい。
私もまだ、母親になる道の途中。
悩みと心労の多い、思春期3人の母である。
・
目の前でダダをこねる我が子の姿の向こう側に
明るい未来なんて、誰だって想像し辛い。
でも、その姿が
“永久にこのままではない”
“真のその子ではない”と思うようにする事は
心の持ち方で可能だと思う。
子どもの今の状態を見て
未来を失望することはないと
私は努めて思うようにしている。
・
猫が犬になることはできないけど
10年後に毛の色が変わったり
事故で脚を亡くして
思いがけず至れり尽せりの環境を手に入れたり
その猫なりの変化があったりするように
子どもの今の状態で
その子の先が少し分かる事もあれば
全然、当てにならない事もある。
・
現に私は、人も苦手、発表も苦手
新しい事大嫌い、怖がり、おまけに学歴もない…と
きていたのに今こんな仕事をしている。
割と社会に不適合組だったから
“こうなるしかなかった”とも言えるが
卒園式まで泣きながら幼稚園へ通った私を知る
大好きなマキコ先生がこれを知ったら
多分びっくりしてくれると思う。
❈マキコ先生は幼稚園時代の私のマザー的先生
・
【甘えさせる】と【甘やかし】は違います☝
そう書かれてある育児本はいくつも見てきたが
15年間、その意味をうまく掴めなかった。
だけど今、とてもよく解かる。
甘えさせるは受け入れる愛で
甘やかしは考えることを放棄した状態。
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さて。
これまで書いた事を元に
冒頭で書いた母親たちのこれらのセリフを
解釈するとこうなる。
「随分甘やかしてきたからこうなった。。」は
↳感心を持たれなかったからそうなった。
「甘やかしたつもりなのに、
まだ愛が足りないのかしら?」は
↳甘やかしと愛を取り違えていたからそうなった。
「息子はまだ甘やかして欲しがってるのか?」
↳自由にさせて欲しい訳じゃなくて
心で考えて欲しがってる。
母親が疲れ果てている時
我が子を甘えさせる余裕なんて、無いことがザラ。
私も無気力な状態の時はそれがうまくできないが
言わなくていい言葉でもって
むやみに子どもを傷つけることはしないように
気をつけているつもり。
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あるある話だけど
子育ては植物を育てる要領と同じ。
興味を持って
適度な水と光と栄養を与える。
どんなことより大変だけど
どんな花が咲くのか分からないのを心配するより
信じて楽しみに待とう。
世の中のお母さん方
今日も本当にお疲れ様です。
美味しい珈琲でも淹れて
午後からも頑張るぞ。
Asami
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