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文字の叢
虚構の窓枠
川端康成「雪国」駒子の性別
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駒子の性別
川端康成の「雪国」は、昭和十年から雑誌へ断章が何作か書き継がれて発表され、それらを合わせた最初の単行本の刊行は昭和十二年、あとがきを付した完結作品は昭和23年の刊行。その文体は現在でも読んで全く色褪せたところを感じません。日本では長篇小説として扱われていますが、欧州では長篇詩としても理解されているようで、事実、手の込んだ各種喩法は一行に詩を感じる表現ばかりです。
誰しもがその華麗な文章に圧倒されるうえ、巧みな構成に引き込まれて一気に読了する名作であることに異を唱える人もまずいないはず。その一方で読後に引き摺る出処不明の違和感に何時までも悩まされる作品でもあると思います。「一体何を言いたい物語なのか?」。長らくこの疑問は頭の底に沈殿したままでしたが、或る時、偶然の思い付きにより変則的な解決をしたと感じましたので書いておきたいと思います。
つまり「駒子は実は男ではないか?」と言うこと。駒子の性別を男として捉えたうえで大まかに言えば、「雪国」は川端康成の内的な世界(無意識の領域)における異性愛的価値観の崩壊と、自らを同性愛者として再認することにあったのではないかと思えて仕方ないのです。勿論、確たる論拠も無くそれを言ったところで何の意味もない。ただ、そう考えると不思議と不可解な印象を残していた「雪国」が、極めて分かる話へと変化していったのです。深層心理で白色は死を意味します。ですから舞台となる雪国は死を象徴しているのかもしれません。果たしてこの物語は、「やはり自分には異性愛は無理だ。」という川端康成の内なる叫びであるのか。それでは、順に検討してみましょう。
——国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。——余りにも有名な書き出しですが、この書き出しについて一般的に、主語は誰であるのかが問題となりやすい。島村に化体させた川端康成が主語とすれば分かりやすくはあるけれども、違和感も残ります。しかし、登場人物の全てをフルに利用して描いた、川端康成の内面を描く為の、謂わば箱庭的な独り芝居であるとすれば納得できなくもない。島村は東京に妻子を残して湯沢温泉へと向かい、温泉場には芸者駒子が待ち受けているのですが、トンネルの通過は社会的ペルソナを脱ぐ行為とも捉える事が出来ると思います。あるいは妻子がいる異性愛者として生きる仮面を脱ぎ捨て、生来的な性的指向である同性愛的世界へ国境のトンネル(常識や社会通念を意味しているのか)を抜けて還っていることを暗に説明しているのかもしれません。
——「駅長さあん、駅長さあん。」と冒頭から登場する葉子こそ、最大の謎。何しろその役回りが定かではない。——連れの男が彼女のなんであるか、無論島村の知るはずはなかった。二人のしぐさは夫婦じみていたけれども、男は明らかに病人だった。——汽車の中で島村の斜め向かいに座りながら関係性はぼかしてあります。これを読み換えれば、葉子と病身の男は川端康成の内なる世界で異性愛的価値観が崩壊し掛けている様子と見ることはできないか。男は葉子の許嫁であるわけですが、後に死んでしまいます。その末期に駒子は駆け付けようとはしない。しかし駒子を同性愛者とすれば異性愛的世界の崩壊に醒めた感情であることは当然の設定に受け取れます。
——「こいつが一番よく君を覚えていたよ。」と、人差し指だけ伸ばした左の握り拳を、いきなり女の目の前に突き付けた。「そう?」と、女は彼の指をにぎるとそのまま離さないで手をひくように階段を上がって行った。——勿論この描写は、その前段で書かれている「あんなことがあったのに、」と連動しているはず。恋愛関係にある人物同士の交合や性的興奮の高まりを表わしているのでしょう。
——ほどよく疲れたところで、くるっと振り向きざま浴衣の尻からげして、一散に駈け下りて来ると、足もとから黄蝶が二羽飛び立った。蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれた、遥かだった。——いうまでも無く、これは島村と駒子の前途を暗示するもの。二羽の向かう先に示された色は白。この描写から川端康成は「究極の美とは即ち死である」と主張しているようにも思えます。
——細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ唇はまことに美しい蛭の輪のように伸び縮みがなめらかで、黙っているときも動いているかのような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡れ光っていた。——この個所だけを見れば艶っぽい駒子の描写と受け取ることも出来ますが、直截的に言ってしまえば、男子の肛門を表わす暗喩ではないかと思います。女性の唇を表現する時に通常「蛭の輪のように伸び縮みがなめらか」と言うでしょうか。蛭が腸管や直腸、あるいは肛門の暗喩とすれば、「濡れ光っていた。」の淫靡な響きに性的なイメージをより喚起せざるを得ません。これは「少年」に描かれる清野少年へ向けた川端康成の粘り着くような目線と通底するものがあると思います。
——「だって君の家、病人があるんだろう。」「あら、よく御存知ね。」「昨夜、君も駅へ迎えに出てたじゃないか、濃い青のマントを着て。僕はあの汽車で、病人の直ぐ近くに乗って来たんだよ。実に真剣に、実に親切に、病人の世話をする娘が附き添ってたけど、あれ細君かね。ここから迎えに行った人?東京の人?まるで母親みたいで、僕は感心して見てたんだ。」「あんた、そのこと昨夜どうして私に話さなかったの。なぜ黙ってたの。」と、駒子は気色ばんだ。——駒子と葉子の関係性を僅かに説明している文ですが、「——気色ばんだ。」ところがポイントでしょう。トンネルを抜けた以降は僅かであっても異性愛的要素へ接近して欲しくない、そんな川端康成の同性愛者としての意識も感じます。
——それだけを駒子は一気に話したけれども、息子を連れて帰った娘がなにものか、どうして駒子がこの家にいるのかというようなことには、やはり一言も触れなかった。——勿論この下りは、「書かないぞ、言わないぞ」という川端康成の意志。すべてを暗喩の下へ隠さなければ余りにも実も蓋もない話しになってしまうからでしょう。
——島村は表に出てからも、葉子の目付きが彼の額の前に燃えていそうでならなかった。それは遠いともし火のように冷たい。なぜならば、汽車の窓ガラスに写る葉子の顔を眺めているうちに、野山のともし火がその彼女の顔の向こうを流れ去り、ともし火と瞳とが重なって、ぼうっと明るくなった時、島村はなんともいえぬ美しさに胸が顫えた、その昨夜の印象を思い出すからであろう。それをおもいだすと、鏡のなかいっぱいの雪のなかに浮かんだ、駒子の赤い頬も思い出されてくる。——車窓の後方に流れ去る極めて複雑な映り込みの空間を圧倒的な喩法で描いていますが、これは単に映像化された情景の描写が目的ではないと考えます。詰まるところ、同性愛であることに全面的な肯定感を持ちえなかった川端康成の葛藤、それは当時の価値観に基づく、世間の目を気にする余りの葛藤であったはず。決して単純な心理ではなく、だからこそガラスに多重に映り込ませる必要があったのではないかとも考えれると思います。この個所は、しかし華麗な喩法です。
——「フォウムへは入らないわ。さよなら。」と駒子は待合室の窓のなかに立っていた。窓のガラスはしまっていた。それは汽車のなかから眺めると、うらぶれた寒村の果物屋の煤けたガラス箱に、不思議な果物がただ一つ置き忘れられたようであった。——見事であるがこの描写は説明とも受け取れる。東京の妻子の元へ戻る島村は、駒子との同性愛関係からの一時離脱を表わすとすれば、駒子の「さよなら。」は冷たくて当然。駒子と島村の関係を同性愛とすれば、果物は決してエデンの園にあった禁断の林檎ではない。不思議な果物とは男女ではなく男と元男を意味しているのかもしれません。——汽車が動くと直ぐ待合室のガラスが光って、駒子の顔はその光のなかにぽっと燃え浮かぶかと見る間に消えてしまったが、それはあの朝の鏡の時と同じに真っ赤な頬であった。またしても島村にとっては、現実というものとの別れ際の色であった。——島村にとっては妻子のいる東京は仮の姿であり、駒子のいる温泉場の方こそ同性愛者としての偽らざる現実に違いない。これは以下の文によって更に強化されているように思います。——「もう送って行くのはいやよ。なんともいえない気持ちだわ。」「ああ、今度は黙って帰るよ。」「いやよ。停車場へはいかないっていうことだわ。」「あの人はどうなった。」「無論死にました。」——「無論」と敢えて言わせたかったのでしょう。葛藤はあるにせよ、異性愛者を装って生きてゆく気持ちがここで消えたのだと読めなくもありません。
——「君はいい女だね。」「どういいの。」「いい女だよ。」「おかしなひと。」と、肩がくすぐったそうに顔を隠したが、なんと思ったか、突然むくっと肩肘立てて首をあげると、「それどういう意味? ねえ、なんのこと」島村は驚いて駒子を見た。「言って頂戴。それで通ってらしたの? あんた私を笑ってたのね。やっぱり笑ってらしたのね。」真っ赤になって島村を睨みつけながら詰問するうちに、駒子の肩は激しい怒りに顫えて来て、すうっと青ざめると、涙をぽろぽろ落とした。「くやしい、ああっ、くやしい。」と、ごろごろ転がり出て、うしろ向きに坐った。島村は駒子の聞ちがいに思いあたると、はっと胸を突かれたけれど、目を閉じて黙っていた。——一般的な感覚でみれば、島村が駒子を性の対象としか見ていない事に対する怒りともとれるのですが、芸者という職業からすれば、島村の言葉は聞きちがいであったにせよ不自然さはない。ここまで駒子が怒りを顕わにする訳とは何か。駒子が元男であると前提を伏せて川端が敢えてこの箇所を書いたとすれば、島村が同性愛を心の何処かで否定していたと駒子が勘違いして感情の表出に至ったと考えられなくもない。
そして、島村と駒子は繭蔵の火災の場面へと駆け付けるのですが、——水を浴びて黒い焼屑が散らばったなかに、駒子は芸者の長い裾を曳いてよろけた。葉子を抱えて戻ろうとした。その必死に踏ん張った顔の下に、葉子の昇天しそうにうつろな顔が垂れていた。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見えた。——「見えた」のであればこれは島村の目線。つまり、島村が、そのように情景を見立てたのだと。現在と違い、昭和初期の社会通念を考えれば、同性愛が広く認知されていたとは思えない。何処かに罪悪感を感じていたとしても不思議ではありません。しかしながら、終結の——踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった——とすれば、やはり川端康成は同性愛の全てを肯定したかったのではないかと思います。
駒子が元男、或いは男、性転換者であったとしても、たとえ性未分化症であったとしても、現在の価値観では多様性の一言に飲み込まれてしまうかもしれません。そうであるならば昭和初期と言う時代が川端康成にこの「雪国」を書かせたもいえる。
無論の事、あれこれと詮索に終始する無粋で暗いトンネルよりも、やはりあの国境のトンネルを抜けて、川端康成の描く夜の底を割り引く事も無く、ただ其の儘を受け止めて味わいたいものです。
(了)
文芸の道具たち
小池一夫「人を惹きつける技術」
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小池一夫による劇画原作のための創作術。所謂ハウツー本です。買った当時、ネットでも意外な高値が付いていましたので、ゆくりなくも古本屋さんで安価な値札を見付けた時は、思わず拳を握り口の中で小さく叫んだことを憶えています。奥付は2010年1月20日第一刷発行、2011年7月25日第2刷発行。
文体から恐らくは大半が録音からの文字起こしではないか。平成二十二年一月の日付の〈おわりに〉だけを執筆したと思われます。小池一夫は「子連れ狼」「クライングフリーマン」など往年の名作劇画原作者ですが、残念なことに晩節を汚すような行状も絶えなかったと言われています。一九三六年秋田県大仙市生まれ、二〇一七年四月十九日東京にて没。
目次は以下の通り、〈第一章国境、メディア、——ボーダーを越えて異文化と共生する「キャラの力」〉〈第二章ヒットするキャラの「三角方程式」〉〈第三章ヒットキャラが持つ「九カ条」〉〈第四章キャラを魅力的にする「プロファイリング」〉〈第五章キャラクター創りの㊙テクニック〉〈おわりに〉〈小池一夫作品リスト〉となっています。
小池一夫によれば、「世界はキャラであり、キリストは世界一のキャラ」、「作品を創りたい時、『どういうストーリーを書きたいか』ではなく、『どんなキャラクターを描きたいか』をまず考え、そのキャラクターを視覚的に『どう見せたいか』を考えることによりストーリーやドラマが結果的に決まると述べています。つまり、この本は全てが「キャラ」の為に書かれているようなもの。
極めて興味深いのは〈第二章ヒットするキャラの「三角方程式」〉「子連れ狼ができるまで」で紹介されている博多人形のエピソードでしょうか。——僕はその人形がお気に入りで、まさに「大五郎」という名前をつけて、机の上に置いて、いつも「今帰ったよ」とか「今日こんなことがあったよ」と話しかけていました。そのうち、可愛くなってきて、漫画原作者になった後、いつか作品で使ってやろうと思うようになったのです。こうして、母の形見の博多人形がキャラクターとしての一人歩きをはじめたわけです。——この後、キャラのディティールが煮詰められてゆくのですが、——こうしてできたのが『子連れ狼』です。何のドラマもありません。創ったのは子供と浪人キャラクラ―だけです。二人のキャラクターを動かしてドラマを創っていたのです。——そして、——もし僕が「大五郎」のモデルになった人形を可愛がって話しかけていなければ、『子連れ狼』という作品自体がこの世に存在しなかったでしょう。すべては、キャラクターに名前をつけて、話しかけることからはじまっているのです。——と述べてゆくのです。(本書45頁などから一部引用)
そもそもがハウツー本ですから、勿論のことこれ以上は書くわけには参りません。このほかにも「キャラ起こし」のための幾つかの論点に触れているのですが、どれも実に意外な創作術です。もはやこれは、書き手に憑いたキャラが「物語を書かせている」としか言いようがない。それは呪術的ですらある。このような本を読むと「今日は天気も良いし、人形でも探しに行ってみるか」と、思わずそんな気になって仕舞います。
(了)
吉村昭「わが心の小説家たち」
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古本屋さんで何気なく手に取り、面白かったので半分近く立ち読みして購入した本です。読んでから随分経過しましたが、いまだに飽きない内容です。奥付は1999年5月20日初版第一刷。
この本が如何なる経緯で刊行されたのかは184~186頁の「あとがきにかえて」を読めば諒解できるでしょう。吉村昭が編集者のすすめに従い日本近代文学館に保管されている5回の公演録を活字に起こしたものですが、——恐るおそる活字に起こされたものを読んだ私は、これはこれでいいのだろう、と思った。感想にすぎないものなのだが、思うままに正直に話している。小説を書きつづけてきた私の基本が、これらの公演内容に現れている、とも思った。——と、その出来栄えに満足していた旨を記しています。
《第1章森鴎外、「歴史其儘」の道》《第2章志賀直哉『暗夜行路』への旅》《第3章川端康成の眼——『死体紹介人』と『雪国』をめぐって》《第4章川端康成『千羽鶴』の美》《第5章女性作家の強烈な個性——岡本かの子・林たい子・林芙美子》《第6章梶井基次郎『闇の絵巻』の衝撃》《第7章太宰治『満願』の詩》《読書案内のための注》《あとがきに代えて》の各章で構成されています。
購入当時、すでに吉村昭の「戦艦武蔵」「破獄」「陸奥爆沈」「虹の翼」を読んでいましたから、当然に好きな作家の一人でした。何れの章も創作のヒントに富んでおり、その内容を受けて後岡本かの子、梶井基次郎、林芙美子と「ちくま文庫」を読み足した次第ですが、このうち梶井基次郎に対する吉村昭の熱量は何しろ突出していました。
最初に『檸檬』という小説を読みました。私は、この作家の文章は、とても新鮮で、新しくて、生き生きしているな、と驚嘆しました。
例えば、主人公の「私」は果物店でレモンを一個買いますが、その檸檬について、
「一体私はあの檸檬が好きだ。レモンイエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の格好も。」
と、書いています。「一体私はあの檸檬が好きだ。レモンイエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたような」と言う表現に、私の眼は釘づけになりました。レモンという果実の色、形、感触が、この短い文章で物の見事に表現されている。レモンの匂いすらかんじられる。
私は、文章というものがこれほど大きな機能を持っていたのか、と驚嘆しました。詩だ、と思い、小説の秀れた文章には詩があるのだ、なくてはならぬのだ、と思いました。
その後に、『城のある町にて』という短編を読み、この短編の文章にも私は陶然としました。(中略)
そうして読み進んでいくうちに、とうとう『闇の絵巻』という短編に突き当たったのです。これこそは小説の文章なのだと思いました。これは最高のものだと、私は非常に感動しました。(以下略)
吉村昭は梶井基次郎の文章に「質の高い詩を感じる」と述べ、さらに以下のように言い切っています。
私は、初めてこの『闇の絵巻』を読んだ後、第一行から最後まで筆写しました。そうしますと、梶井基次郎の、息づかいというものがひしひしと感じられたのです。
そして今でも私は、自分が短編を書く前に、梶井基次郎の短編をじっくりと文字を追って読むのを習いとしています。その詩心を自分の身にしみつかせたいからなのです。
——その詩心を自分の身にしみつかせたい——勿論、創作の方法論は吉村昭が主張する方法だけではないのでしょうけれども、極めて具体的な話であることに違いはない。つまり、「優れた文章には詩が無ければならないのだ」と。同時に吉村昭ほどの作家であっても魔法の杖は持っていなかったのだと改めて感じるのです。
(了)