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56歳退職記念ヨーロッパひとり旅11 アウシュヴィッツ、ビルケナウ博物館

 2024年10月23日、今日は早起きして5時30分歩いて
クラクフ中央駅に向かう。6時5分発のアウシュヴィッツ。ビルケナウ博物館に向かう!何日が前からアウシュビッツツアーの申し込みをネットから試みるが、日本円で3,000円の安いツアーは既に売り切れている。
 今日は朝一番のバスに乗ってツアーを付けずに行ってみることにした。
 パスポート(身分証明)を持っていけば、博物館自体は無料なのだ。
 英語が多少理解できるので勉強がてら、他のツアーの近くで聞けば何とか理解できるだろう!という我ながら非常にセコい姑息な手段を使って今回参加しようという算段である。

ビルケナウ博物館

 クラクフ中央駅に隣接されるバス停のおばさんからバスのチケットを買おうため窓口にいくと、面倒なのか、「バスの運転手からも買えるよ。ここで待ってなさい。」と言われる。それとアウシュビッツという言葉はドイツ語なので「オシフィエンチムと言うのがポーランド語では正しいのよ。」と教えてくれた。
 なるほどポーランドの人にとってはアウシュビッツという言い方はなんか嫌悪感があるんだなと理解した。んー勉強になるなぁ。

証拠隠滅のためナチスによって爆破されたガス室アウシュヴィッツ。ビルケナウ博物館

 バスはすぐに来た。チケットをVISAのカードでピッとタッチし運転手から片道700円程度で購入。クラクフ中央駅からバスで60km、1時間30分かかる。座席は9割程度埋まっている。さすが1979年世界遺産登録の人気の博物館だ。世界中からの見学者が後を絶たない。多くのブログをチェックしたが、1日では見切れないという意見が多かった。 

アウシュヴィッツ博物館入場待ちの団体客

7時30分現地到着、早速、チケット売り場に行くと私のようなガイド付きではないフリー客が長蛇の列を作っている。朝早くにもかかわらず団体客を乗せた大型バスも引っ切り無しにやってくる。おそらく世界中の博物館の中でここが一番人気があるのではないかと思う。


アウシュヴィッツ有名な入り口

 待つこと30分、やっと自分の番が来た。ガイド付きかフリーか聞かれ、フリーと言うと。アウシュヴィッツの入場は午後の2時からだという。なんですと?
 チケット売り場の男性は茫然としている私に「ビルケナウなら今すぐにでも入れるよ。そっちを先に見学してからアウシュビッツに来れば?」とアドバイスしてくれたので、そうすることにした。
 アウシュビッツからビルケナウまでは3kmほど離れているが無料のシャトルバスが運行されていてそれが便利だ。

アウシュヴィッツ。ビルケナウ無料シャトルバス

少し走ると広大なビルケナウ収容所が見えてくる。入り口に到着すると映画「シンドラーのリスト」の有名なシーンで使われた建物や線路が入り口から見える。背筋が一瞬冷っとした。
 広大な敷地の大部分は終戦間近、ナチスによって爆破されているが、爆破されているガス室や爆破しきれなかった収容所がそのまま残っている。
 私は英語ガイドのおぞましい説明を聞きながら当時のユダヤの人の気持ちになって考えた。英語でガイドは「今も昔も理不尽な事はあるでしょう!でもこの当時のユダヤ人に比べたら1万分の1も大したことないのよ。」みたいな事を言っていた。今の自分と重ねてみてそうだなと思った。これまで組織のために頑張ってやってきて理不尽な監査で変な疑いをかけられ、ほとほと嫌になって退職を決意し、ここにやって来た。1940ー45年のユダヤの人々に比べれば、自分の身に起こった事なんて全然大したことないなぁ。と思うことができる。


理不尽

 思考の狭い人間は自分のためなら簡単に裏切るし、昨日まで同僚でもその同僚を殺すことだって出来てしまう残酷な動物になりえるのだから。
 細かなルールを100個、200個、300個と増やして行き、内部統制を引き締めヒトラーやヘスとアイヒマン達によってナチスの人たちも狭い箱に思考が押し込められる。もはや善悪の区別もつかなくなったのだろう。
 ルールを破るとロシア戦線行きなのだから、殺人をしているという最も罪が重い感覚はもはやなかったハズだと…ガイドが言っていた。
 その後、午後からはアウシュビッツも見学し合計11時間も博物館内を見学し、最終のバスでクラクフに戻った。考えさせられる1日になった。

アウシュヴィッツ

 中学の授業で教えられたホロコーストは表面上のことだけで、実際に現地を訪れて話を聞くと人間の内面上の複雑な問題だということがわかる。
 実際にマインドコントロールされているナチスドイツの党員の精神面に異常が出始め、ここでは人間を毒殺するには中途半場なツィクロンBを用い、ガス室での大量虐殺が始められる。JA職員の倉庫担当としてねずみの駆除をした知識がある私は、その殺害方法がどれだけ残酷で苦しかったか、ガイドよりも理解できる。


アウシュヴィッガス室

 アウシュヴィッツで知り合ったロンドンで学ぶ韓国人の大学院生と仲良くなった。お互いに今日、学んだことを帰りのバスの中で話し合った。
 「ドイツがポーランドにやったことは決して許されない。」と日本人の私に話した。

ひげが汚く申し訳ございません

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