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1968年生まれ、50になって外国人の友達をつくることを趣味にしています。

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最近の記事

56歳、退職願を書いた日

 人生で初めて退職願を書いた。とりあえず白い紙と白い封用、筆ペンを準備した。一刻も早く職場から逃げ出したい一心で書きました。  ギャラリーは奥さんと娘、34年の感謝と同僚に挨拶もせずぬに申し訳ない気持ちで丁寧に書かせていただいた。おかげさまで今の精神状態は安定している。今後の再就職の問題もあるが、それはあまり考えずに1歩進んだようで気分でとてもすっきりした。  

    • 56歳、退職日を迎える。

       今日、退職辞令交付式のはずだ。でも私は行かない。前文でも書いたように円満退社ではないからだ。上司が1時間もかけて本店へ出向き、私の退職辞令を代わりに受け取ってくれる。こういったセレモニー的なことを最重要視する組織にとってみれば、変わり者の私を快く思っていない人が多い。なおさら行きにくい。  退職辞令を取り仕切るのは、総務部総務課。私にとって管理部門の苦手な部署の一つだ。トラブルも多かった。手書きの業務車両管理日報を勝手にシステム化したのを咎められたことを思いだす。  フ

      • 56歳、とりあえず仕事を辞める

         本当にここ数か月家族に救われた。会社内で後ろから鉄砲→責任を取らされ→懲戒委員会→稟議書を書いていないことによる規律義務違反→降格。人間不信でメンタルボロボロです。そんな時に助けてくれたのが、家族。「こっちから辞めたら。」という妻と子供たちの後押しがあって、8月末、退職することになった。  数年前管理職になってからは、管理部門の理論で仕事をしてきたが、まったく無駄な仕事ばかりで自分には向いていないと感じていた。書類仕事に重要性を感じず、毎月、大量のチェックリストを手書きで

        • ○○警察??

           コロナ禍にマスク警察なる人が現れSNS上で炎上していたが、昨日、車いす駐車場で○○警察が現れた。もちろん、本物の警察官ではなく、ホームセンターのガードマンとして働くとても真面目な年配の男性だった。  私の妻は数年前たまたま足が不自由になり障害者に認定された。杖を突いて歩くことは出来るが店の入り口に近い車いすパーキングを利用させて貰っている。もちろん車には車いすマークも貼ってある。  今回、真面目過ぎるガードマンとトラブルになった。 内容は以下のとおり  車をバックで車いす

        56歳、退職願を書いた日

          三沢航空祭

           毎年9月に行われる三沢基地航空祭を楽しみにしている。中はアメリカ、雰囲気も良く、中学校時代に憧れたアメリカ文化に誰でも比較的簡単に体験できる。Hello!と一声掛けただけで彼らはフレンドリーに接してくれる。米軍の制服を着た兵士が乳母車を押して家族と祭りを楽しむ姿を見るとほっこりした気分になる。仕事半分、家庭サービス半分という感じ。制服を着たままとてもリラックスしている。堅苦しくない良い文化だと思う。基地に入ると私はいつも真っ先に行くのは、米軍基地内のハローワーク的な所。現在

          外国人の友達をつくる

           色んな国の文化・習慣を知るのはとても面白い。英語を学び始めて一気に世界が広がった感じがする。私は農家の長男として生まれ、農家の長男として家を継ぎ、JAに勤めながら休日には農作業や山仕事を強いられること20年。だいぶ考え方も狭くなっていた。小さい箱の中で些細な事で悩んだりもした。仕事だけが人生じゃない。40歳にもなってようやくそのことに気づき、いつか外国に行って見たいと50歳を機に英語を学びはじめた。先生は外国人。彼らと話をすると文化やちょっとした考え方の違いが面白い。逆に日

          外国人の友達をつくる

          異文化交流会の思い出!

           2024年4月、人事異動で気仙沼に行くことになった。これにより自宅から車で25分の通勤が70分になった。自分の時間が減ったような気がする。  新たな仕事の内容は購買事業と直売所の責任者ということだ。ギャラはおんなじでなんてことのない書類仕事とハンコリレーと苦情処理が主な仕事。何も考えることもない当てがわれた仕事だ。すっかり組織の歯車となった。ハンコ、複写伝票、FAXと生産性も効率性も80年代のルーティン。  上司には「余計な事しないでいいし楽でしょ」というけど。私はそうは思

          異文化交流会の思い出!

          ジャマイカの友達と行くおしんツアーin山形

           2024年4月28日(日)念願だったジャマイカ人のステイシーと山形へ。1893年にジャマイカでも放送されたNHK連続テレビドラマ「おしん」のロケ地巡りが目的だ。聞くところによると、ジャマイカでは毎週日曜日の夜に1時間番組として放送されたそうで、特に彼女の母親はこの日本のドラマにのめり込み、泣きながら見ていたそうです。(当時、ステイシーは7歳。)  彼女は日本に住んでもう7年になるが、旅行などしたことがないそうだ。おしんの影響なのか休日には掃除、洗濯、買い物、そのほかに英語の

          ジャマイカの友達と行くおしんツアーin山形

          やまちゃんトラップ

           2023年12月ごろから飼料のネズミ被害が増えていた。対策としてチュートル1番のトラップを仕掛けることになった。担当はやまちゃん。初日に5匹、二日目に3匹とやまちゃんトラップが大成功。絶妙なトラップの配置で結果を残したやまちゃん。普段、褒められることに慣れていない彼だが、今回の件では「ネズミの気持ちがわかる男」とみんなから一目を置かれている。  調子に乗った彼は、チュートル1番(ペッタン)の数を増やし始めた。 すると期待どおり自分の仕掛けたトラップに自分が踏んずける頻度が増

          やまちゃんトラップ

          事業計画!

           今年も事業計画策定の季節となった。とは言っても数字については新規事業がないので前年を踏襲した形で計画するのであまり難しくない。  1回目の策定で終わることもないので企画管理部門から2回目、3回目の提出を求められることになるだろう。  管理の人達に是非とも認めてもらいたい事業の1つに外国人を対象にした料理教室&異文化交流会がある。仙台牛しばりになっているため、普段食べれない高級食材を使ったこの料理教室は外国の方に非常に人気となっています。毎回、いろんな国のから来ていただける

          事業計画!

          JAの仕事始め

          2024年がスタートしたがモチベーションが上がらない。 最近、対価の発生しない無意味と感じる事務仕事が異常に増えた。  正直、意味の解らない謎マニアック様式に数字を入れたところで後で見返してもなんのこっちゃ分からないものを作成してどうなるのだろう?  いわゆる”言いつけ通りちゃんとやってます的な仕事”を多くの職員が一斉に作業するこの仕事は謎だ。  しかも、私を含めて誰に聞いても何のためにこの書類が必要なのかまったく分からない。  この手の事務作業は、作業に取り掛かるまで3日位

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          9連休ゲット!

          12月に入り、上司より「職場離脱通知書」を受け取った。 これは、私の会社が不正を防止等の観点から年一で行っている制度で、「ある一定期間、職場に出勤してはいけない」というもの。私の場合12月6~10日までの5日間、土日を挟んで9連続で出勤してはいけない。仕事熱心な職員であれば師走の忙しい時に「なんてことだ!」と頭を抱えるところだが、私はニヤける顔を抑えることが出来ない。仕事熱心な職員Mはというと「センター長が来週からいないぞ!」と同僚たちにハッパをかけている。その職員Mの前では

          9連休ゲット!

          私の大腸がん体験記14-2023年現在

           今は2023年、私はまだ生きている。2017年に大腸がん手術、S状結腸がん、盲腸がんと2つの癌手術を体験した。いろいろあって抗がん剤は結局しなかった。幸運なことに16年たった現在も転移がない。  途中、信頼していた主治医の先生は隣の県に転勤になり、悲しんだが、先生の言いつけどおり、ストレスをためないようになんとか心の平穏を保つことに努めた。2017年当時、私は38歳という若さで癌になった。 なんで自分が?とさんざん嘆いた。ちょうどそのころ、昇進し管理職になった。  でも病気

          私の大腸がん体験記14-2023年現在

          職場の愛されキャラ「やまちゃん」

           やまちゃん!39歳独身、私の部下である。目つきがちょっと悪く。人とコミュニケーションをとるのが苦手。だが話し好き。おそらく学校時代の成績は下の方だろう。ゲームやマンガをこよなく愛し、仮面ライダーが大好きだ。車は軽自動車に乗っている。思い荷物を運ぶとき、なぜかすーっとどこかに消える。反対に私が自動販売機でジュースを買うときに現れる。  誰かに思いっきり詰められても全く気にしない。話をしているときに平気で割込む。しかも全く違う話題で人の話を折る癖があり、いろんな人に注意されてる

          職場の愛されキャラ「やまちゃん」

          私の大腸がん体験記13-検査と判決

           盲腸の癌を摘出して3か月、ついに最初の検査の日がきた。退院してからというもの職場の理解もあり、残業はしなくなった。心の平準を保つために意識したのは次のとおり。 ①職場では嫌な人に近づかない。 ②土日は長女のテニスの試合と長男の野球の追っかけ。 ③夫婦喧嘩をしない。 どうも最近、涙もろくなった。病気前はそんなことはなかったが、息子が少年野球の試合でチームを救う逆転のツーベースヒットを打った時、思わず感動して涙があふれた。自分のこの複雑な感情はうまく説明できないが、心がまだ弱っ

          私の大腸がん体験記13-検査と判決

          私の大腸がん体験記12-退院Andしぼう

           手術6日目、点滴が外され、かなり身軽になった。明日は退院の日、今日は特に何もすることなく過ごす。せっかくなので病院内を散策してみよう!一人、エレベーターに乗り、ロビー近くのコンビニへ、一階のエントランスでは相変わらず多くの患者さんで混雑している。中には私と同じ状況でシリアスな状況に追い込まれている方もいるハズだ。自分だけではない(仲間がいる)と思うと気持ちが少し楽になる。  正直、コンビニへ来ても、欲しいものはない。大腸がんが発覚してから一番欲しいものは”健康”であり、家

          私の大腸がん体験記12-退院Andしぼう