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7-3:まだまだ奥深い「モト」についてのQ & A③(人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読む『モト』の話)

7-3【まだまだ奥深い「モト」についてのQ & A】③

Q:人がいつ死ぬか、全部決まっているの!?

A:この地獄には、偶然起こることは「一つも」ありません。
 前述の通り、時間というものはすでに過去も未来も全部ある状態で存在する「軸」です。イメージしやすい形を考えるなら、「円」というか「ドーナツ」のような構造をしています(実際にはもっと複雑です)。
 その中には、たくさんの生き物の一生のドラマが、マフラーの編み目のように織り込まれています。もちろん、それら同士がどう関わって、その時どのような出来事が起こって、それぞれがどんな気持ちになるのか、そういう細かいことまで織り込まれています。
 こういう「関わり」の網目のような構造をしているのが「時間軸」というものです。ですから、僕たちが生まれてから誰と関わってどんな人生を歩むかということも、完璧に「設計された状態」で人生がスタートします
 当然、どうやって終わるか、も設計されています。それが自然災害によるものか、心ない者の悪意によって終わるのか、天寿を全うするのかも、シナリオに書いてある通りになります
 こういうことを書くと「そんな馬鹿な!」という「怒り」のご意見をたくさん頂きます。事故で「たまたま」亡くなった方や、事件に巻き込まれて「不幸にも」命を落とした方も、みんな「自分でそうすると決めているのか! 不謹慎だ」と。
 そういう方々には本当に申し訳ないのですが、実際問題として、そういうことも全て決まっている状態で人生がスタートしないと、モトから考えられる宇宙観と矛盾してしまうんですね。ですから、そう考えざるを得ないのです。
 どうして「矛盾する」のかというと……僕たちに、地獄に降りてくる「理由」があるのだとしたら、僕たちの人生はその「理由」通りに進まないといけないということになります。その「理由」にそわない人生の体験があってしまっては、地獄に降りてくる意味を損なってしまいます。
 生き物の死が「偶然」起こるものであったら、その時間に起こることは「予め決まっていない」ことになりますので、それはその先の未来の形が決まっていないことを意味します。これでは、(すでに「在る」)未来に人生を始める者の「人生の設計」が台無しになってしまいます。地獄に降りてくる「理由」を果たせなくなるんです。それでは「時間全体から見ると」生き物全員がとても困るんです。
 つまり、地獄にわざわざやってくる「理由」にそった人生を、僕たちが地獄で完璧に歩むためには、僕たちは人生で起こる全てのことを「きちんと設計してから」生まれて来なければならない、と考える方が理に適っているのです。
 ですから、どんな死であっても、それは「予定通り」起こっているのだと考えるしかないのです……悲しいことかもしれませんが。


Q:意味のない人生、というものはあるの?

A:ありません。一つもありません。
 この地獄にわざわざ「生まれてくる」のだから、必ず何らかの理由を背負って生まれてきます。どんなにムシケラみたいな人生でも、絶対に意味を持っています。逆に、僕らにとって小さなムシケラにすぎない生き物(人間とは限りません)の一生にも「理由」というか「意味」があると考えられます。
 それは、もちろん本人にとっての「体験」という意味合いを含みますし、それともう一つ、他者に影響を与えるための「意味」もあります。
 人生というもの、もっと言えば「生き物」が生まれてくるということは、この地獄世界の他の生き物に何らかの影響を必ず与えるということです。特に、人間の「生」と「死」は、他の人間に大きな影響を与えることが多いですよね。悲しませたり、怒らせたり、時には喜ばせたり。僕たちは他人の「生」と「死」に大きな影響を受けながら地獄で暮らします。
 こういう「誰の生きざま、死にざまにどんな影響を受けるか」も、あなたの人生のシナリオには書いてあります
 逆もそうです。僕たちはただ生きているだけで、たくさんの人や他の生物に影響を与えます。本人としては、地獄で「誕生」や「死」という経験をするにすぎない事でも、地獄全体を上から見ると、そのひとりの生や死が波紋のように大きな影響を周囲に振りまきます。人生には、そういう「意味」もあるのです。
 だから、どんな人生にも「意味」はあります。意味のない人生なんて、ただの一つも存在できません。地獄はそういう場所なんです。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)