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096 あらゆるものが『モト』でできているセカイ(おやモト)

おやすみ前の #モトの話  096

わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁

前回「モトは素粒子だ」と書いたんですけど、多分科学をたしなむ方全員に鼻で笑われているんじゃないかと覚悟しています(笑)。でもまぁ、どうして素粒子だと思ったの? という質問にもちゃんと〝答え〟を用意していますので、気になる方は拙著『セカイのトリセツ』をぜひ😁

それでね……だったらどうなの? という話なんですけど。
モトが素粒子なんだとしたら、わしらというものは
・モトでできたココロ
・モトでできたカラダ
・モトでできたカラダにくっついてるアタマ
という構造をしていることになります。つまりです、わしらは頭からつま先まで全部

モトでできている存在

である、となります。
そしてそして! すべての物質が「素粒子モト」の集まりなんだとしたら、このセカイというものは

すべてがモトでできているセカイ

である、という結論になるんです。ですから、たとえるならわしらは

モトの海にドボンと浸かっているような状態

で存在していることになるんです。

そんな中、わしらはどうやって「自分」を定義しているのか? それが

『境い目』

という話。わしらは自分の『B:信念』を上手に使って、このモトだけでできたセカイで「自分か、自分じゃないのか」をうまく見分けて生きているんです。

でもね……やっぱりわしらは「モトでできている」んです。とはいえ、モノが存在する空間のモトは濃いはずですし(めちゃくちゃいっぱい集まって物質化しているから)、ニンゲンをかたち作るモトも濃いはず。そう、ただ「モトの濃淡」があるだけなんですね。

093で「わたしたちとは何か」と書いたけど、わしらは結局「モトが濃く集まっている場所」にすぎないんです。あなたも、わしも、みんな。

そんな中でわしらは、個々で【モトあつめ】をやりながら生きています……大抵は「一番目」をやってるから、奪い合ってるんです。

こんなセカイで他者を『許す』とどうなるか……なんと!

メインの【モトあつめ】が「二番目」に変わるんです!!

続きは次回!


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)