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097 相手のすることは全部ただの〝モトあつめ〟だ(おやモト)

おやすみ前の #モトの話  097

わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁

このセカイはすべてが「モトでできている」もので、あなたもわたしも「モトでできている」にすぎないんやで、という話の続き。

こんなセカイでわしらは常に【モトあつめ】をしています……ほら、『人は幸せになるために生きてるんだよ』なんてよく言われますけど、結局これは『人は常にモトあつめをしているんだよ』と同じ意味なんです(幸せ=モトの量)。
そんでもって、大概の場合は「一番目のモトあつめ」をやっちゃってるんです。カンタンだから、やったですね(モトあつめの復習は050)。

これを意識的に「二番目のモトあつめ」に変えよう! というのが

『許す』

という動作をする最終的な目的です。そしてそれは結局

『他者を許す』

ということでもあるんです。
誰かを上手に許すと必然的に「二番目のモトあつめ」が始まっちゃうので、この『許す』という動作を他者に向けることで最終的に自分のモトが増える、という算段が立ちます。もちろん相手のモトも増えるので、相手も自分も最終的に幸せになります。

こんな素晴らしいこと、やらない手はなくないですか?🤩

んで、具体的にどう考えて『許す』動作を他者に向けるのか? という話。ここまでを総合すると、他者とは何か? という疑問の答えは

・自分で決めた『境い目』の外にある、モトの集まり

くらいのものだとわかります。そしてもちろん、あなたにとってとても大切な「自分」というものも、他者から見たら同じように「モトの集まり」にすぎません。それらの単なる「モトの集まり」が、なんだか意思を持ってそれぞれ【モトあつめ】をしているんですね。

だからです。

相手のすることは全部モトあつめ


なんです。どんなときでもです。他者がやることなすことすべてが何らかのモトあつめです。怖がらせたり、イケズしたり、見下したり……それらも全部

ただのモトあつめ


です。そしてこのとき自分が考えるべきなのはたった一つ

「相手のモトあつめに付き合って、自分のモトが増えるか」

だけです!!

そして実はこれこそが『他者を許す』基礎なんです。


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)