【10日目】人生は『いつ』終わるのか(ジンセイのトリセツ)
◆人はいつ死ぬのか
ちょっと難しくなってきたので、前回までのことを箇条書きでまとめてみます。
「一切皆苦」である、今いる世界【地獄】でないと達成できない「用」をするために、僕たちは【天国】の世界からわざわざ来ている。
ただし【地獄】に生まれてしまった段階でその辺の事情を全部忘れる(知らないことにされる)。そうでないと『じゃんけんができない』から。
死なないと【天国】には戻れない仕組みなので、用が済んだら死んで【天国】に帰っていく。
こういう『仕組み』があるのだ、という話だったんですね。その上で、この「用」にあたるものが【個別のドラマ】だろうという推測ができる、ということです。なぜなら、僕たちが生きている間に経験することは、全部【個別のドラマ】だからです。
さて……この復習にさらっと「とんでもないこと」が書いてあったんですが、気が付きましたか? それは
の部分です。これが意味することが、ものすごく重要なんです。なぜかというと……実はそれは次のことを意味しているからです。
今僕は「者」という言葉を使いました。このルールは人間に限らず、あらゆる生き物に当てはまるはずだからです。コバエからイニシャルG(初級編参照)からセイタカアワダチソウから人類にいたるまで、全部の生物です。全部の生物が【個別のドラマ】を背負っていて、それを「やりに【地獄】に降りてきている」んですから、それらが終わらないと【天国】に帰れないんです。
つまりです……ここまでを突き詰めて考えていくと、
ことになります!!!!!
◆人生には「予定」が組んである
これだけでも、とんでもない話ではないかと思うんです。僕たちは生まれる前に、すでに「いつ死ぬのか」決まっているはずだ、と書いたんですから。
そしてさらに……いいですか? 今からものすごく大事で、それでちょっと難しいことを書きます、心して読んで下さい。
先ほどの理屈で、生き物が「死ぬ」タイミングが生まれる前に決まっている、ということは
ということも言えます。
なぜなら「用が終わらないと帰れない」わけだから、死ぬタイミングまでに全ての「用」=予定していた【個別のドラマ】をやりきっていないといけないからです。
つまりです。
ということになってしまいます……人生には予定があって、それは「予定通りに進んで、予定通りに終わる」ということです。ただ僕たちがそうと知らないだけなんです。
なぜそんな大事なことを僕たちは「知らない」のか?
それは前回も書きましたが、僕たちの人生というものは「初めて観る映画」でないと意味がないからです。
人生というものが「初めて観る映画」でないと、人生で起こる色々な「発見」「気づき」を得るという
『体験』
ができないからなんです。「一度見た映画」では、人生の体験が全部ただの消化試合になってしまうんです。
◆天国は『両手じゃんけん』の世界だ
天国の世界では、コレが「どうやってもできない」んです。じゃんけんの話を思い出してください。全てのじゃんけんが、自分で両手でやるじゃんけんになるんです。
天国の世界で起こる【個別のドラマ】を、僕は
と呼んでいるんですが、天国ではやることなすこと全てが【両手じゃんけん】なんです。自分の両手なので、なんの手を出すか分かっている状態でやらないといけないから、じゃんけんにならないんです。
だからこそ僕らは地獄に「用」=【個別のドラマ】の予定を作ってこの【地獄】にやってくるわけですが、おそらく【天国】の世界で
「よし!【地獄】に降りるぞ!」
となるまでには、相当な覚悟と準備がいるはずなんです。なぜなら、一度「降りて」しまうと、なんで降りてきたのか全部忘れてしまう上に、苦しい体験をし続け、そして一番苦しい死という体験を必ずして、それまでは天国側に帰ってくることができなくなるわけですから。
これから洞窟探検に行くぞ! というとき、Tシャツと短パンとサンダルで行ったら、入ってすぐ引き返すことになるのは目に見えていますよね……やっぱり、服装からライトからザイルから、色々と準備してから洞窟に入るでしょ? それと同じです。だから
地獄でやるべき個別のドラマ
そのために必要な、別の個体との出会い
個別のドラマをすすめる順番
天国に戻ってくるタイミング
こういうものを、きっちり準備してから地獄に来ているはずなんです。僕ら全員がね。