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058 愛とは定量的に推測できる「ココロの状態」だ(おやモト)

おやすみ前の #モトの話  058

わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁

「愛とは、モトの量」

これがたった一つの「愛とは何か」の答えです。これ以外の答えはありません。

と前回書いたけど全員がポカーンとなってるやろなと思てます😅補足と解説をしていきまひょ。

前回書いたような「愛の気持ち」……恋人へのそれ、家族へのそれ、ネコ様へのそれ、全人類へのそれ、アニメキャラへのそれ……それらの「気持ち」はそれぞれ別個で、全然違う感覚のものやと思うんです。
でもまぁ言うてしまえば全部「愛情」のようなものですやん? じゃ、これらに共通するものってなんやろう?ってなった時、これまでは「説明するのが難しい」ものやったはず。なぜって「ココロの状態」って目に見えへんし音もないし、やから〝人それぞれの感じたままが答え〟的なあいまいなもんやったはずです。

ところがどっこい!!

ココロには「材料であるモトの量」というもんがあるよ、と書いてきましたよね。この「量」が気持ちを出す基準になるんやったら、先ほどの「ココロの状態」を定量的に推測できるはず……要は【好き嫌いゲージ】の針がどうなってんのか、がそのまま「ココロの状態」を表すはずです。

そこで。さっき挙げたような「愛情」を感じているときのココロの状態はどうか、というと……

・モトがたんまりある状態

という共通点が浮かび上がってくるんです!

ですから前回書いた通り

「愛とはモトの量だ」

ということになるわけ。どんな「愛情」もココロがこの『状態』でないと出てこないんです。そしてこの『ココロの状態』のことを、わしらは大昔から「愛」と呼んできたわけです。

ね、モトの考え方があれば、これまで説明不能やった〝人それぞれ〟をちゃんと「説明」できるようになるんです。便利でしょ?

次回もお楽しみに!



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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)