【4日目】『大いなる矛盾』の世界とその名前(ジンセイのトリセツ)
◆「命」というルールの詳細
【3日目】からの続きです。僕たちが生きている「ここ」とはどこなのか? という話をしています。それをはっきりさせるために、この「ここ」を支配するルールについて考えていきます。
「ここ」という場所には
があることが前回分かりましたね。この【命】というのはどういうシステムなのかというと
その途中経過が「人生」だったり「犬生」だったり「猫生」だったり「ハエ生」だったり「縄文杉生」だったりするわけです。
命ある生き物は、必ずこの①と②を経験するシステムになっています。
そして、ここからが重要……その「途中経過」をやろうと思ったら、絶対に避けられないルールがあります。それは
ちょっと考えてみてほしいのですが……僕たちが毎日食べているもの、それは必ず
「他の生き物のカラダ」
です。地面から掘ってきた鉱物だけを食べている人は、一人もいないはずです(カラダというものがそういう造りだからです)。
植物は? とお思いの方もおられるでしょう……植物は確かに水と光だけでも生きられます。ですが、生き物のフンや死骸から出た有機物(肥料)を与えるとグイグイ育つのはご存知のとおりです。ですから植物たちも、動物とは少し形が違うものの「捕食」したがっているということです……そのほうが効率よく生存できますから(中には食虫植物なんてヤツラもいますもんね)。
◆『大いなる矛盾』の世界
卵や牛乳は? という反論が聞こえてきそうですが、それらは草食の生物(ニワトリやウシ)のカラダから採取したものなので、その草食動物が草や木のカラダを食べていることを考えると、間接的に他の生物(植物)のカラダをむしゃむしゃ食べていることになります。
ベジタリアンならいいじゃない! なんて声も聞こえてきそうです。でも植物だって生き物です(なんとココロもあるんです、人間のそれとはちょっと感覚が違うはずですが)。当然「殺されたくない」と本能的に思っています。
その証拠に、植物もトゲをはやしたり、毒を含んだりと、捕食されない方向で進化してきましたよね。「イヤ」だからです。
(実や葉の一部をわざと「食べさせる」ことで種を存続させる選択をした植物もいます。命はしたたかなんです)
僕たち人間も当然「捕食」されたくないですよね。ビーチにサメが襲ってくる映画は「怖い映画」です。あれが怖いのは「食べられて死ぬ」のがイヤだからです。
でも、誰かを「捕食」しないと死ぬ運命にある、それが「人生」のベースなんですね。
そんなわけで先の③と④のルールは「絶対」なんです。僕たちは
ですが、それをするためには
という、世にも恐ろしい仕掛けがあるんですね。それが「ここ」という場所を支配する命のシステムなんです。
僕はこの現象を
と呼んでいます。
だって、矛盾してませんか? 自分が「一番されたくないこと」を、他の生き物に「仕掛けないと生きられない」仕組みになっているんですよ!? こんなひどい話、なかなかないと思いませんか?
だからこそです、人類は「お料理」というものでこの矛盾についてあまり考えない方向で文明を進めてきました。僕たちが日々パクパクおいしく頂いているものは、ちょっと前までは「命」あった生き物だったんです……。
◆その名は【地獄】
今回の話をまとめると、こうなります。
こうやって考えると、僕たちが今、存在している「ここ」というのは、【大いなる矛盾】に支配された恐ろしい場所である、ということが言えます。
確かに、生きていると嬉しかったり、楽しかったりする【個別のドラマ】に出会うこともよくあります。ですが、それらの楽しい【個別のドラマ】や、そういうものの一つである「美味しいものを食べる」という経験ですら、この恐ろしい【大いなる矛盾】の上でしか、成り立たないということなんです。
こういう「ここ」という世界をなんと呼ぼうか、僕は随分悩みました。今は確信を持って、こう呼んでいます。
「ここ」は【地獄】です。
今後、僕たちが暮らしている「ここ」のことを【地獄】と呼ぶことにします。次回はもう少し詳しくこの【地獄】のことを見ていきましょう。
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)