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【3日目】幸せに「なる」たった一つの方法(ニンゲンのトリセツ・改)

◆モトの「増減」と僕たちの「気持ち」の関係

 今日からさっそく、具体的な『モトの話』を進めていきます。前回は注意事項の説明になってしまったので、今日はまず【1日目】の復習からはじめましょう。
 僕が『モト』と名付けた、ココロの材料であるツブツブ(粒子)には当然「個数」があるわけで(ツブツブなのだから)、ただし粒子はとても小さいものなので、数えるときは【量】という概念を使いますよ、という話をしました。要するに

  • ココロには【量】がある

という話なのです……復習はここまで。

 ではどうしてこのココロの【量】が大事なのか、本格的な話を始めます。
 まず最初に、僕の長年の研究によって、実はニンゲンの「感情」「気持ち」というのは、どうもこの【量】に左右されるらしい、というのが分かりました。どういうことかをものすごくザックリ書くと、僕たちというものはココロの量が増えると「いい気分」に、ココロの量が減ると「イヤな気分」になるみたいなんです。
 ……へ? とか、そんなアホな! という反応が聞こえてくる気がしますが、もうちょっとガマンして聞いてください。今書いた「新しい概念」をまとめると、

  • モトの量……増↑ → いい気分(ポジティブな感情)

  • モトの量……減↓ → イヤな気分(ネガティブな感情)

こういう感じになります。どうやら僕たちの「ココロ」というものは、この『モトの量』に応じて、ものすごく機械的に「気持ち」を出してくる「器官」のようなものみたいなんです。

 なんて、にわかに信じられない方も多いのではないかと思います。ニンゲンというものは様々な感情を持って暮らしている生き物ですし、大人になればなるほど人は、自分でも分からなくなるほど複雑な感情にゆれることがあるものですから。
 ですが、実際にはこの「モトの量の変化」がそういった「複雑な感情」を起こしているので、つまりそこにさえ注目すれば自分自身や周囲の人の「感情」の変化を上手に『説明する』ことができるようになる、というわけなんです。これが『モトの話』の画期的なところの一つです。


◆「幸せ」に”なる”方法は『一つ』しかない

 そしてさらに、先ほどの「新しい概念」にあったとおり、ココロという「器官」は

  • モトの量……増↑ → いい気分(ポジティブな感情)

という性質を持っています。
 この「いい気分」というのは言いかえれば「幸せな気持ち」ですよね? ですから、僕たちが幸せな気持ちに「なる」ための方法というのは、実は

ココロのモトの量を増やす

これだけ、この「たった一つ」しかない、という結論になります。

 いきなりものすごい結論が出てしまいました。大事なので、もう一度まとめます。僕たちが幸せになる方法は、実はたった一つだけなんです。

・ココロのモトの量を増やす

これだけです。これはココロの「機能」の問題なので、例外はありません。ココロという器官は、モトが増えると幸せな気持ちを出す「機能」を持っている、という話なんですね。

 逆に考えると、ココロの量が「減る」とイヤな気持ちが出てくるわけですから、幸せな気持ちになりたければ「イヤな気持ちになるもの」はできるだけ避けましょう、という「当たり前の話」でもあります。実際問題として、そういう「イヤなもの」は、ココロのモトを減らします。ココロのモトが減るから、ココロは「イヤな気持ち」を出してきます。
 こんな風に、ココロというものはとても「機械的に」「自動的に」モトの量に応じて「気持ち」を出してきます。なぜそうするのかというと、ココロという器官には「そういう機能がついている」から、というよりは、ココロというものはもともと「モトの量に応じて気持ちを出す」という動作をする「器官」として、僕たちに生まれつきくっついているからなんです。


◆ココロの量が「変化する」のはなぜか

 では、どうして僕の言う「ココロの量」というのが『増減する』のでしょうか? ココロに「量」があるとして、それが増えたり減ったりするのは、どういうときなのでしょうか?
 これは僕が長年、自分や周りの人のココロの動きを”モトの増減”という観点で観察して分かったことなのですが、どうもココロの量というものは

  • 何かに注目したとき減っている

ようなのです。ですから、何らかの理由で僕たちが「何か」に注意を向けると、そちらに「ココロからモト粒子が飛んでいってしまう」という現象が起こるようなんです。
 つまり、ココロを構成する材料『モト』というものには、僕たちが「何かに注目する」という行動を取ったときに、そちらに向かって飛んでいって「消費される」という性質がある、ということです。
 これは単に、石ころや空の雲に注目したときにそちらへ飛んでいく、というだけでなく、周りの人や生き物の動作・様子に注目したときにも、そういうことが起こっているみたいなんです。ですからモトという観点からは「注意を向けるという動作」そのものが、「対象に向かってココロのモトを少し飛ばすという動作」を表しているようなんですね。

 そして、注意したものに向かって飛んでいったモトはどうなるのか? というと、どうも対象が「ココロを持っているかどうか」、つまり生き物であるかどうかによって変わるようで、対象がココロを持っている場合のみ、そのココロに吸収されて「相手のココロのモトを増やす」という現象が起こるみたいなんです。
 ……これまた「そんな馬鹿な」という話に聞こえると思うんですが、僕たちのココロというものに具体的な材料があって、それが何らかの原因で増減するのでは? という仮定を前提に世の中を見渡してみると、どうもそういう「現象」が起こっているらしいぞ、ということが分かってきた、ということなんです。

 というわけで、ここまでをまとめるとこうなります。

・誰かに注目されれば、幸せな気持ちになる

 これはモトというものを通してココロの動きを観察すると、どうも間違いないみたいなんです……と、僕がこんなことを理屈っぽく書かなくても、このことは
「そりゃそうだよな」
という話でもあるはずです。誰かの注目を浴びるということは、とても気分がいいものです。とはいえ今までこの「現象」……誰かに注目されると気分が良くなる、という現象には「なぜそうなのか?」という説明がなかったはずです。ですが、僕が言う「ココロの材料=モト」という説で考えると、このことに「明確な理由」があることが分かっていただけるはずです。すなわち

  1. 誰かに注目される

  2. 注目した人がモトを飛ばす

  3. 注目された人は、モトを受け取ってココロの量が増える

  4. ココロの量(モトの個数)が増えたことで「いい気分」になる

こんな「現象」が起こった、ということなんです。

 こんな風に、僕たちのココロというものには(さきほど「機械的」という言葉を出しましたが)、感情を出してくるための

メカニズム

があります。メカニズムとは「仕組み」のことです。僕たちのココロは「モトの量の増減」という”条件”によって、このメカニズムにそって感情を出しているのだ、というのが『モトの話』から見た「ココロというもの」の正体なんです。


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)