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071 「それは『愛』か?」を明らかに見極める

おやすみ前の #モトの話  071

わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁

究極のモトあつめ『許す』という動作の「所作(しょさ)」(=具体的なやり方)の第一段階

1.あきらめる

という動作についての続きを。復習やけど、この言葉は〝ガッカリしながら何かを手放す〟という意味合いではなく

明らかに、見極める

の略だ、という意味でとらえてね(その結果〝ガッカリしながら手放す〟こともあるにはあるんやけど😅)

で、ですよ。大事なのは「何を」見極めるのか?ということ。今日はその話。

許すために「あきらめる(明らかに見極める)」という動作をするとき、わしらが一番に考えなくてはならないのが

「それが自分のモトを増やすか?」


ということ。これはいいかえると

「それは自分を幸せにするか?」

ということでもあるし、あと「愛=モトの量」なので

「それは『愛』か?」

ということでもあります。これが「何を」見極めるのか?のツール(道具)です。

生きていると、さまざまなひとに出会い、さまざまな事件を経験し、さまざまな物を手に入れ、さまざまなものを失い、そしてさまざまな苦しみを味わいます。そういった、生まれてこのかた出会ってきた一つ一つ、そしてこれから出会っていく一つ一つについて、たった一つの基準、たった一つの〝ものさし〟である

「それが自分のモトを増やすか?」


を使って、明らかに見極めていくのです。これこそが最初の「所作」である

1.あきらめる

の具体的なやり方なんです。

という話をすると「自分勝手だ」「他人をないがしろにするのか」という人が出てきます。でもね、『許す』という動作の本質は068で書いた通り

自分のモトを少し相手に分ける

というものなので、まず自分がモトを持ってないといけないんです。持ってないモトは、相手に渡せませんからね。

だからこそ、まず「それが自分のモトを増やすか?」「自分のモトを減らすものか?」を

明らかに、見極める

必要があるということなんですね。

続きは次回。お楽しみに!!


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)