【19日目】心配をやめるために「時間の構造」をモトから知る(カンジョウのトリセツ)
◆心配のメカニズムと「時間」の話
心配の「メカニズム」は理解できましたか? 心配をしてしまうのは
「イヤな未来」を予測して「疑似体験」しているから
でしたね。
心配というのはイヤなものですが、それは人間に備わった自然な感情でもあるんです。生きていると、心配になることの一度や二度はあるものですし、それ自体はそんなに不自然なことではありません。
ですがその『心配』が次から次にわき出てきてしまっては、当然人生そのものがツラくなります。僕たちはこの『心配』とどう付き合っていけばいいのでしょうか?
結論から言うと
自分で「やめよう!」と決めて、やめる
ということになります。結局はほかのネガティブな気持ちにと同じように、前回のABC理論でいう
A(出来事)=雨の天気予報を見た
B(信念) =雨はイヤなものだ(→イヤな将来を予測する)
C(結果) =雨を心配する気持ち
ここでの「B(信念)」に気づいて、自分のアタマで修正しましょう、という話になってしまうんですね。
ですが……それができれば苦労しません。心配な気持ちが起こったときというのは、その「心配」の対象がやってくるのが「未来」の話なので、「その時」が来るまではずっとハラハラしちゃうものなんですよね。だから厄介なんです。どうすればいいんでしょう?
これをちゃんとどうにかするためには……実はモトから分かる
「時間とは何か?」
という話を、少しだけする必要があります。本当は上級編の話なのですが、今回必要な部分だけピックアップしてお話しますので、ちょっと難しいかもしれませんが……頑張ってついてきて下さいね。
◆『心配』も『後悔』も今ではない「いつか」がわき起こす感情だ
さて、『心配』な気持ちは、前回話したとおり「未来の出来事を(予測して)疑似体験」しているから起こるんでしたね。これと似たような気持ちに
『後悔』
というのもあります。これはアタマで「過去の出来事を(思い出して)疑似体験」しているときの、ネガティブな気持ちです。ついでだからこちらについてもお話しますけど、この二つの感情は構造がとても良く似ています。
要するに『心配』も『後悔』も「今」ではないいつかの話を「アタマで疑似体験」することで起こる感情なんです。つまり、ポイントはやっぱり「アタマ」なんですが、その「アタマ」に
「時間とは何か」
という知識、もっと言うと
「過去はなぜやり直せないのか」
「未来はなぜ分からないのか」
という知識があれば、この『心配』『後悔』に対処しやすくなるはずです。
こういうことって、しょせんは一匹の生き物である僕らには計り知れないようなことで、考えたって分かりっこないムダなこと……だったですよね、今までは。
そう、今までは、です。実はこういうことにも「モト」の知識が答えを与えてくれます。モトって便利なんですよ!
◆モトが教える『時間とは何か』という「奥義」
とはいえ……それをちゃんと理解するのは「モトの存在理由と動作原理」というかなり高度な話をしなければならなくなるので、その辺は上級編とエキスパート編に譲ろうと思います。いずれきちんとお話しますので、今はちょっとガマンして下さい(すみません)。今はさきほどの疑問に対する答えだけを、かいつまんで書いてみますね。
まず、僕たちは人間という「生き物」です。他の生き物よりちょっとだけアタマが発達していますが、やっぱりただの生き物なんです。生き物は「時間」というものを『流れ』で体験するような仕組みでできています。過去ヘは戻れないし、未来のことは知覚できません。ずっと「今」という時間だけを知覚し、それをどうするか、どう感じるかだけをアタマで「処理」し続けるような構造になっています。
だから僕たちは、時間というものは
「過去から未来へ向かって流れているものだ」という『感覚』
をもって生きているはずです。
ところが、です。モトのことを深く理解すると、これがひっくり返ります。実は
「時間というものは、流れていない」
んです。どういうことかというと
「すでにある『時間軸』の中を、僕たちが一方方向に移動している」
というほうが、より正しいことが分かります。もっと分かりやすい言葉を使うと、僕たちは
「すでに存在する未来へ向かって、歴史をなぞりながら生きている」
んです! レコードの溝に針を落として音楽を奏でるようなもんなんですね。もう「レコードの溝」は彫ってあるんです。
◆「ムダな人生」というのが存在できない『構造』
こんなことを言うと
「え! じゃ未来は僕たちの『選択の結果』じゃないの!?」
という反論をしたくなると思うのですが、モトの性質を突き詰めると、その『選択』やそれに至る考えすらも、すでに「いつか来る未来」として用意されていることになるんです。
僕たちはその「用意された未来」を順番に体験しながら生きているに過ぎないということです。
こんなことを書くとメチャクチャがっかりする人が出てくるかもしれません。どんなに努力しても、未来なんてすでに決まってるんだ……なんて考えてしまうかもしれませんもんね。ですが、もう一つつけ加えると
「未来や過去は、ときどき修正される」
という、僕たちからは想像もできないような現象も発生しているはずなんです(特に「過去の修正」なんて想像だにできないですよね……)。その時に基準になるのは、僕たちのその時の「気持ち」「感情」なんですよ。だから僕たちは「その時」を体験し続けているんです……あなたの「人生」は決してムダではないんです。
上級編でもちゃんと書きますが、大事なのでここでも書いておきます。「ムダな人生」なんてものは一つもありません。ただの一つもです。あなたにとって価値のない人や生き物(イニシャルGとかです)の「一生」にも、とても重要な意味があります。もちろん、あなたの人生にも、あなたが今、頑張っていることや苦しんでいることにも、とてもとても大きな「意味」が隠されています。安心して下さい。
◆『心配』や『後悔』を「やめる」という生き方
話を戻しましょう……要するに、僕たちがどれだけ『心配』してもいずれ結果はやってくるし、あるいはどれだけ『後悔』してもそれを修正する機会はないんです。なぜなら僕たちは「一匹の生き物」にすぎないので、未来を「知覚」したり過去を「修正」したりする能力がないからです。
ではどうすればいいのでしょう? 僕たちは「どう生きれば」いいのでしょうか?
僕はまずはこういう『構造』を知ることだと思っています。
僕たち人間がその発達した頭脳を使って発見した「時間」という概念……今ご説明したとおり、この「時間」にもモトによる「メカニズム」があるのです。そのメカニズムにそって僕たちの『人生』というのは進んでいきます。そして、僕たちの人間の能力では、その「時間の流れ」というメカニズムに逆らうことができない、というわけなんです。
だったら、僕たちにできることはたった一つです。
『腹をくくる』
これだけなんですね。
未来というものは、どんな形であれ必ずやってきます。たとえそれがすでに「決まった形で存在する」としてもです。いくら心配したところでどうせ来るのだから、心配でモトを減らし続けながらその日をむかえるのと、それ以外の「モトあつめ」をしながらその日をむかえるのとでは、「その日」にどんな状態でのぞめるかが大きく変わってきます。もちろん、たくさんモトがあるに越したことはないはずです。
昔から「果報は寝て待て」と言われます。本当にこの通りなんです。結局いつだって僕たちには「今」しかないのだから、今できることを全部やって、それが終わったら後は「モトあつめ」でもしたほうがよっぱどいいことになります。
こういうふうにアタマで「決める」ことで、心配を「やめる」ことがすこし楽になります。後悔も同じです。「今」に注力することで、クヨクヨ・ハラハラする気持ちを乗り越えて、モトあつめで気力を蓄えて、明日を、明後日を、そして毎日をハツラツと乗り越えられたらいいですね。
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)