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7-6:まだまだ奥深い「モト」についてのQ & A⑥(人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読む『モト』の話)

7-6【まだまだ奥深い「モト」についてのQ & A】⑥

Q:時間って、終わるの?

A:時間には終わりがありますが、終わった瞬間が始まりの瞬間です。
 時間はとても複雑な構造をしていて、三次元空間である地獄で「絵に描く」ことが難しいのですが、次の二つを同時に満たすような「形」をしています。

 一つ目は「球体の表面」。
 二つ目は「円」。

 一つ目の「球体の表面」ですが、宇宙全体が膨張していることを考えると、僕たちの地獄はまるで「膨らんでいく風船の表面」のような形をしています。そして、この風船には、裏面があります。これは「三次元空間に裏面が存在する」ことを表しているのですが、表面の時間がビッグバンからしだいに膨張していくと、この「裏面」がそれと反比例する形でぐんぐん縮んでいきます。そして表面の時間が「終わり」にたどり着いたとき、最大まで「縮んだ」裏面でビッグバンが起こり、新しく「始まる」ような仕組みになっていると考えています。要するに、表が裏に、裏が表になって新しく時間が再スタートするのですが、その循環はまるで「円」のような形で表現できます。エッシャーのだまし絵階段のような感じです。
 この二つの「形」を同時に表すのが難しい、ということなのですが、こういう構造をしているので、時間というものは「どこかの「時刻」で終わる」ものだということが考えられます。
 そして、あたかも宇宙全体が呼吸するかのように、その「時刻」が新しい始まりでもあるのです。


Q:なぜ時間に「終わり」があるの?

A:「神さま」が、地獄でやるべきことを全部やり終えるからです。
 神さまが地獄を作って、うにのように枝分かれしつつ、僕らの姿をとって中に入って、いろいろな生き物の一生を体験し続けているのには、理由があります。
 一言で表すならそれは

「三次元空間の片面を全部『有』のモトで埋め尽くすため」

です。
 そもそも、生き物のココロにのみ「モトを増やす」機能がついていて、他の方法でモトを増やすことができなくなっているのはなぜだと思いますか? こういうことにも、ちゃんとそうなっている「理由」があると考えられます。ズバリ、この地獄が存在する理由とは

『四次元空間(天国)でたった一人、ぽつんと存在する「意思のカタマリ」であった神さまが「両手じゃんけん」じゃなくて「自分以外の誰かとちゃんとじゃんけんできる状態」で、それでも「すべての自分が『自分の好きな自分でありたい』と思えるようになる」には、どういう風に時間軸を組み立てたらいいか? というチャレンジ

なんです。壮大なゲームのようなものです。
 これはすなわち、この地獄世界が「最終的な形」、つまり「地獄を作る前の神さまと同じ姿」になると、終わってしまうことを意味します。その姿こそが、全て「有」のモトでできている世界なんですね。
 三次元空間に「有」のモトがあるとき、その「配列」によって機能が分化するのではないかと僕は予想しているのですが(モトが僕らのココロになるにはモトが「一定の配列に並ぶ」必要があるということ)、配列も何もなく、一定の空間に単純にギチギチに「有」のモトが並ぶと、それはただの光のようなものに見えるのではないか考えています。
 言いかえると、この地獄がすべて「光」になり、裏面の空間のすべてが「闇」になった時が時間の終わりです。結局、時間というものは、僕たちが自分でそうすることを目的に、過去から未来に進んでいると僕は考えています。

(続く)

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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)