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018 人生の構造はアナログレコードだ(おやモト)

おやすみ前の#モトの話  018

わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁

人生があるのには「意味」「理由」のようなものがあるよー、という話の続き。ちょっと復習やけど、002あたりで書いた【個別のドラマ】(個人の周辺事情や経験など)の話をいっさい考慮せず、その奥にある「生まれたり死んだりする生き物の『一生』がある理由」という話をしています……もちろんそういった【個別のドラマ】がなぜあるのか?という話もあるんやけど、それを理解するにはやっぱり「命って何?」という話をちゃんと知っておく必要があるやろなーと思てます😉

んで。前回は人生には「決まった未来」が用意されているよ、という話でした。わしらの人生というものは、生まれてから死ぬまでに「どんな【個別のドラマ】を『体験』するか」がかなり厳密に決まっている状態で始まり、そのとおりに過ごして、そのとおりに終わりますよ、というのが「#モトの話」における「時間」というものの考え方です。
(理由はまた別の機会にします……モトと空間の構造の関係から考えられる三次元空間と時間軸の関係性から導き出される、三次元世界の時間軸の終点の形状、という話なんです……難しいでしょ?🤔)

こういった造りの「決まった人生」によく似たものがあります……「アナログレコード」です。あの黒い丸い板には「音楽」が入っています。それも初めから終わりまで一曲まるまるね🤩
でもね……だからといってレコード盤をジロジロ眺めても、わしらは「音楽を聴く」という『体験』をすることができないでしょ?音楽ってもんは「時間にそって流れる」ものやから。
やからレコードをプレイヤーに乗せるんです。たとえそれが一度聞いた音楽であったとしても、プレイヤーに乗せて流さないとわしらは「音楽を聴く」という『体験』ができないから。

人生も同じで、たとえ「死ぬまでの出来事が決まっている」としても、それを『体験』するにはこの【地獄】に「生まれてみる」しかないんですよ。やからわしらは自分の人生で何が起こるか知った上で「生まれよう」と決めて生まれてくるんですね😉

では続きは次回。お楽しみに!🥰


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)