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【27日目】神さまの驚きの「正体」(セカイのトリセツ)


※ご注意※
 『モトの話』の最終奥義として【神さま】の話をしています。
 ですがこれは

  • 特定の宗教への勧誘

  • 創作した宗教団体への勧誘

  • モトの話への信仰の要求

を目的としたものではありません。


◆神さまの『意図』を探ろう

 神さまというのは【うにのトゲ理論】の「うに」だ、という話になりました。そしてこの

「うにの気持ち」

を理解することで、僕たちニンゲンが「幸せに生きる」確実な方法が見つかるはずだ、という話になりましたね。
 なぜなら、【神さま】がこのセカイを「何らかの意図で」創ったのであれば、僕たちが「幸せを感じる」という機能を持っていることもその「意図」に沿ったものであるはずだし、だからその「意図」通りに生きれば自動的に「幸せを感じる」ようにできているはずだ、という理屈です。

 ではその「意図」とやらを探っていきましょう。鍵になるのはやっぱり『モト』です。僕たちには「今このセカイに生きている」という「現象」しか認識できないので、ここからこの「意図」を考えていかないといけないわけですが、そのセカイの仕組みの根本にあたるものがこの『モト』だからです。僕たちの「存在」そのものを規定できるのはこの素粒子である『モト』だけなんです。だから

モトが『なぜ、どうやって』創られたのか

を探れば、おのずと神さまの「意図」が見えてくるはずです。

 今回はその「意図」を探るために、「うに」自体の構造をさらにくわしく見ていきたいと思います。


◆うにの「構造」をくわしく見てみよう

 さて、【うにのトゲ理論】によると、僕たちという存在は「大きな命のカタマリが、無数のトゲに枝分かれしている」という構造の元で生きていることになります。これは人間だけではなく他の動物・植物もそうで、命あるものがみなこの構造をしているのでした。
 これが【関わりの網目】という構造をした『時間軸』のシナリオに従って【大いなる矛盾】という関わり方をすることによって、僕たちの「ジンセイ」という現象が成立しているんでしたね(上級編参照)。
 前にも書いたのですけど、この【うにのトゲ理論】というビジュアルは「命のカタマリ」と僕たち「個」というものの『関係性』を説明するために考えたモデル……つまり模型のようなもので、実際にこんなふうに「うにの形」をしているわけではないと思っています。
(それでも神さまのことは親しみを込めて「うに」と呼んでいますが)

 僕たちがうにの気持ちを探るために考えなければいけないのは、先ほどの「命のカタマリと個の関係」です。うにのトゲ理論では、僕たちは「僕たち自身」という『個』でありながら、本当は「神さま自身」である『命のカタマリ』の一部分、つまり命本体そのものでもある、という「構造」をしていることになります。
 昔から禅問答で

『我々は個であり全、全であり個である』

ということが言われますが、これの具体的なカタチというのがこの【うにのトゲ理論】なんです。この古い禅問答の「明確な答え」も『モト』が導き出してしまいます……やっぱりモトってすごくないですか?

 そしてこの「命のカタマリ」とやらが「モトでできている」よ、という話もしましたよね。なぜなら僕たちのココロは「モトでできている」し、それに僕たちが死んだあと「肉体から【三つのパーツ】がそろって抜け出して天国に帰っていく」わけだから(上級編参照)、その【三つのパーツ】そのものがモトでできていることになりますし、ですから天国にあると推測される命のカタマリというものもそれと同じでないと『全であり個である』という条件が満たせなくなるからです。

 そして……このエキスパート編で明かしたとおり、このセカイという場所は「すべてが『モト』で埋め尽くされている」という構造をしていましたよね。モトというものはこのセカイのあらゆる座標に、固定されている状態で存在していて、そして【有】の状態と【無】の状態をその場にありながら表現することができる「素粒子」だ、という話です。

 この二つの考察結果、すなわち

  • うにがモトでできている

  • 空間のすべてがモトでできている(【有】と【無】の混在)

を合わせると、どうなるでしょう?

 ということは……なんと

「うに」は空間のすべてである

という結論が出てしまいます!!!!


◆神さまは誰だ

 何ということでしょう……【神さま】という存在は、実際は
「【有】の状態のモトを全部合わせたもの」
という姿をしていることになります。そしていずれ、宇宙空間(地獄世界)のすべてが【神さま】になる運命が用意されていることになるのです(すべてのモトが【有】になるのが宇宙の最後だから)。

 つまり【神さま】というのは、文字通り今僕たちの「目の前」に在るんです。あなたが見ているスマホやパソコンも【神さま】だし、その隣にあるマグカップも【神さま】だ、ということになってしまいます。

 そして……

 神さまは、桜の花びら舞う春のうららかな日差し
 神さまは、青い夏のビーチで輝く白い砂
 神さまは、もみじ色づく秋の澄んだ空気とひつじ雲
 神さまは、降りつむ雪の白さと同じくらい白い冬の吐息

こういう「ポエム」がなんと『事実である』ことになってしまいます。

 そしてもちろん、あなた自身も【神さま】ですよ。
 ものすごく大事だからもう一度書きますし、次回も掘り下げますが、今これを読んでいる

あなたが神さまです!

 全であり、個でもあるんでしたね。あなたは神さまを構成する一部分です。もちろん僕もです。全人類がそうです。すべての生き物がそうなんです。そしてみんな神さま本体でもあります。うにはそういう「構造」なんです。

 というわけで今回の結論としては、要するに

  • 僕たちが見ているもの、そして「見えないもの」

  • このセカイに存在するもの、そして「存在しないもの」

これらすべてが【神さま】の本当の姿なんです。それら全部がモトでできているからです。
(このセカイに「存在しない」という状態を【無】の状態で表現しているのも、実際は「そこに在る」モトなんです。そしていずれそのモトも【有】になる運命にあります……さらに言うと、表側で【無】なんだから、裏側では【有】なんです)

 そうとう高度な話をしていると思います。難しいと感じる方は、エキスパート編の最初で解説した『モト』の動作原理をよく復習してみてくださいね。


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)