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093 自分と他者の『境い目』はどこか(おやモト)

おやすみ前の #モトの話  093

わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁

『他者を許す』という究極のモトあつめを行うためにまず

『他者』とは「何」か?

という、一見考えてもムダに思えるような、深い疑問の答えにズバッとせまっているところです。こんなことにも、ちゃんとした答えが出てくるのが #モトの話 のスゴイところなんですよ🤩

で、前回書いた【カラダ】の知られざる役割

自分と他人の『境い目』

について。考えてみたら当たり前の話やと思うんですけど、この世界って

自分か、自分以外か

に分かれてますやん? 実は僕らのカラダっていうのは、その『境い目』として機能してるんです。おおざっぱに、カラダまでが自分、カラダの外側はそれ以外。やから、カラダが『境い目』。ね、感覚的にも「間違いない」でしょ?

そう考えると「他者とは何か」の答えは単純に

『境い目』より向こうにある全て

ということになるんです。つまりこうです。

・『境い目』より内側は〝自分〟
・『境い目』より外側は〝他者〟

……こんなこと改めて言われなくても、と思ったでしょ? でもね、これが「前提」で、この先のことがものすごく大事なんです……他者を『許す』ために。どうしてかっていうと……いいですか、大事なことを書きますから、絶対に覚えておいてくださいね。

実はわしらは全員、この『境い目』がどこにあるかを

・自分で決めている


んですよ。もちろん普段「カラダまでが自分だ」と無意識に決めているのも、実は自分自身なんです。

は???とかえ???とかいう話ですよね。だってさっき
「カラダの内側までが自分で、それ以外は他者」
って書いたやんけー! って思ったはず😅 それはたしかにそうなんやけど、この話には〝続き〟があって、この「『境い目』を自分で決めている」という結論は「自分とは『何』か」の先にある

「わたしたちとは『何』か」

という話から出てくるんです。ちょっとむずかしい話になるけど、次回からガッツリいきますよ。お楽しみに!


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)