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【7日目】動画のfpsと時間の最小単位(セカイのトリセツ)

◆アニメーションで「命を吹き込む」

 大変な話になってまいりました……。

 何って前回、僕たちが見ている「この世(地獄)」すべての物体の移動が『モトによるアニメーション』だ、という結論になってしまったからなんです。

 これは余談なんですけど……そもそも「アニメーション」という言葉の由来はラテン語の「anima(アニマ)」という単語で、意味は「霊魂」「生命」なんだそうです。動かない「絵」を「動かす」のはまるで『命を吹き込む』ようだ、ということでこの「アニメーション」という言葉が生まれたんだそうです。
 僕たちの現実世界で「物体が移動する」原理が『モトによるアニメーション』だ、という言い回しには、個人的にはなんというか運命的なものを感じてしまいます。

 こういった『モトによる物体の移動』という構造は、それこそアニメや映画によく似ています……アニメや映画が「動いて見える」のはなぜか、ご存じですか?
 どちらもそうなんですが、アニメなら「絵」、映画なら「写真」をたくさん用意して、順番に並べてパラパラと連続で見せる、という原理で「映像」というものが作られます。今風に言うと「動画」ですかね。今はスマホでカンタンに動画が撮れますけど、原理は同じです。


◆フレームレートという概念

 では、今日は昨日までの話をさらに先に進めていきます。

 さて、アニメや映画などの映像やスマホで撮った動画には

フレームレート

というものがあるのを、ご存知でしょうか?
 これは要するに、さきほどの要領で「動画」がつくられているとして

一秒間に何枚の「絵」や「写真」が切り替わっているか

を表す言葉です。

 動画のフレームレートの単位には「fps」(エフピーエス)というものがよく使われます。これは「フレーム・パー・セカンド」の略で、一秒間に何コマの絵や写真があるか? という意味です。
 僕たちがよく目にする動画は「30fps」くらいです。これは一秒間に30枚の画像がパラパラ切り替わる動画ですよ、という意味なんです。
 最近の高解像度の動画では「60fps」だとか「120fps」なんかもあります。前の30fpsの動画より「ヌルヌル動く」ように見えるのが特徴です。コマの数が60枚・120枚に増えると動きがなめらかになるんですね。

 では……ここで本日のびっくりポイントです(笑)。

 僕たちが見ている現実世界(地獄)の「物体の移動」が『モトによるアニメーション』なんだとしたら、当然

現実世界にもフレームレートが存在する

ことになります。アニメーションだからです。


◆【有】と【無】二つの「モトの状態」

 「現実世界のフレームレート」なんていわれてもピンとこないんじゃないかと思います。その「最小単位」がなにか分からないからです。
 アニメや映画なら「フレーム」という最小単位があります。この1フレームが1秒間に30フレーム(30コマ)集まっているから「30fps」という表現ができるんですけど、僕たちが見ている現実世界にはこの「フレーム」のような最小単位が定義されていません。
 ですが……モトが「明滅する」ものであるとすると、なんと! この「最小単位」を特定することができてしまいます

 では早速その「最小単位」とやらを明かしましょう! といきたいのですが……その前にひとつ。
 モトというものはその場にありながら「二つの状態」、つまりこちら側の世界に存在しているか、裏側の世界に引っ込んでいるか、どちらかを表現できる粒子でしたね。現実世界のフレームレートの説明をするために、ここでまずその「二つの状態」に名前をつけます

・こちら側の世界に「存在する」=【有】の状態
こちら側の世界に「存在しない」=【無】の状態

図3:モトの【有】と【無】の状態

 三次元空間(地獄)の「裏側」に引っ込んだモトはこちら側からどうしても観測できない状態になるんでしたね。この状態を【無】の状態のモト、と呼びます。逆を【有】の状態のモトと呼びます。

 実はこの【有】と【無】の状態が「切り替わるタイミング」こそが現実の時間の「フレームレートの最小単位」ということになります。


◆地獄世界にもfpsがある!!

 つまりです……いいですか、よく聞いてください。

 以上を踏まえるとこういうことが言えます。

「時間には『最小単位』がある」

 僕たちがこの地獄世界で体験している人生で流れている「時間」というものには『最小単位』が存在する、ということです。

 どうしてこんな話をするのかというと、これは「現実世界とはどういう『現象』なのか」を理解するためにとても重要なことだからです。なぜなら……ほら、アニメの原理を思い出してください。あれは「絵」をたくさん並べたもの、でしたよね。だとすると、僕たちの現実世界も「絵」の連続体のようなものだと言えます。つまり

とある『瞬間』の「宇宙の全体像」を、すべての座標の【モトの有無】で記録している

ことになるんです。そしてこの『瞬間』を「パラパラ漫画」や「アニメ」「映画」の要領で、時間という「流れるもの」にそってパラパラと切り替えているものこそが、僕たちが体験している「ジンセイという現象」だ、ということになってしまうわけです。

 で、これが何を意味するか。

 実はこういう理屈で、上級編で話したように「時間は始まりから終わりまでがすべてどこかに「すでにある」状態である」という話につながるんです……ほら、「未来は全て決まっている」という話です。「海賊探検ボート」の話……覚えていますか?


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)