ミスiD2022卒業式が近付いてきました。 初夏にエントリーが始まったミスiD2022。 ここ最近なんだか暖かくなってきて、ミスiDと共に冬を越えたな〜…という気持ちです。 エントリーした際の目的は明確で、 『Bar黒月のことを、私達の思いを1人でも多くの人に知ってほしい』というものでした。 インターネットの宣伝や広告だけでは伝えきれない、私達の生々しく泥臭い姿をミスiDに乗せて見てもらいたかった。 審査が進むにつれ、色んな物語がありました。 それはミスiDでも、Ba
先程発表がありました通りBar黒月… コンセプトリニューアルします!!! これは黒月改革の1番大きな発表です。 オープンしてから1年半、今までの営業スタイルを続けてきました。これまでの私達を愛してくださっていたお客様に、出演者様に、スタッフに、心から感謝しています。 そしてもちろん、この1年半のBar黒月は私にとっても掛け替えのない時間でした。 これは紛れもなく本当で、どの日々を切り取っても幸せでした。みんなと交した笑顔も時間も、全てを心から愛しています。たぶん走馬灯
Bar黒月をオープンし、1年半が経ちました。 コロナ禍でここまでなんとかやってこれて、お客様とスタッフに感謝の気持ちでいっぱいです。 楽しいこと嬉しいこと、出会いや別れ。色んなことがありましたが、私達が守りたいリアルなエンタメ、そして美味しいご飯を日々提供することが出来て、皆さんと共に過ごした1年半の全てを愛しています。 それと同時に先日、経営状況が厳しいというような発信をしたのですが、それもまた事実です。 お客様や出演者様、スタッフのみんなが、大切に大切に紡いでくれて
『音楽と大切な居場所を次の世界へ繋ぎたい』 ライブハウスが、居酒屋が、人とのふれあいが悪とされてしまった2020年。リアルなエンタメを守りたい思いでオープンした私達が掲げているメインテーマである。 実はBar黒月には、2つ目の大きなテーマがある。 これは昔から絶対に実現したかったこと。 私がライブハウスや路上で歌い始めたのは、14歳の頃。一般的にみて少し早かったかもしれない。出会う音楽仲間はもちろんみんな年上。 お兄さんお姉さん達は、私に危なくない路上のエリアを教えて
Bar黒月をオープンして今月で1年半。 いつも応援してくださっている皆様に日々感謝です。なんとかなんとかやってこれてます。 リアルなエンタメやお料理を楽しんでもらいたいという気持ちで営業しているBar黒月にとって、SNSで発信できることには限界があります。 お店や自分のキラキラした部分を抽出して発信していればいいのかもしれないけれど、それだけだと私達の思いみたいなものってなかなか伝わらなくて。 でも、思いの部分を伝えると、色んな解釈が生まれてしまうんですよね。 配慮し
ギターなどを弾く人はわかると思うのだけど、「ひずみ」という音がある。 漢字で書くと「歪み」。ゆがみ とも読む。 実は最近まで、ひずみという音が苦手だった。 苦手というか、良さがわからなかった。 中学生の頃友人に誘われ初めてライブハウスに行き、インディーズバンドのライブを見た。 ジャキジャキのギターをガンガン爆音で鳴らしていた。その音は、私が14年間の中で聞いたことある音量を遥かに超えてて、ひずませた爆音ギターは恐怖だった。 あんなに爆音にして、ジャキジャキバリバリ
自分の声の話をします。 興味ない人はごめんなさい。 中学時代の最初についたあだ名は 『冷静なムンさん』。 野球部の男子が「ムンさん”あいうえお”って言ってー!」と絡んできたのがはじまりで。 声が低いから、何を話しても、”あいうえお”と言うだけでも冷静に聞こえるのが面白かったらしい。 (後に小林司さんからも、「”あいうえお”と喋るだけでもいい声」と褒められる。みんな私に”あいうえお”と言わせがち。) 14歳で始めて路上ライブをやったときは、「14歳とは思えない歌声だね
よく聞かれるのですが、ちょっとしたストーリーがあるのでここにも残しておこうと思います。 私が今はなき某エンタメユニットでヒールアイドルをやっていた頃の芸名が「ブラック・ムーン」でした。 ただそれを漢字に当てただけ……?というと数年前のことを引きずってんのかって話になってしまうと思うのですが(それも面白いけど)、もちろんそれだけというわけではないです。 アイドルとしての活動中、とある番組で将来の夢を語る会がありました。(アイドルとしての夢でなく、もっともっと先の話) そ
相手を否定する・間違いを指摘する、更にはそれを正そうとするというのは余程の自信と根拠がないとできないことだと思っているのだけれど、普通にそれを出来る人が多くて驚いてる。 私は自分自身がそんなに出来た人間ではないので、正直仕事においても何かを指摘する際ものすごい脂汗をかく。 私なんかが指摘とか指示とかしてごめんね…でもお店や会社の方針だから…といった感じで。 その人自身を否定しているわけではなく、この会社としてのやり方だからみんなでこうしていこうねというスタンスである。
髪を染めた。 お店をオープンするとき気合を入れるためにショッキングピンクにし、看板も入口のイラストもピンク色の髪をした女の子をモチーフにしてもらった。 ピンク系からガラッと変えたのは久しぶり。 白っぽい色にしたかった。 (元がピンクだったから脱色に限界があった…) バタフライ効果という現象がある。 Wikipediaには「力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象」とある。 名前の由来
今の感情を言葉にするのが難しい。 でも、言葉のすごいところは、「言葉にするのが難しいという」言葉で抽象的に気持ちを表現することができるところだ。 歌もそうだと思っている。 言葉にさらにメロディーを紡ぐことができる。 紡いでいく要素が増えるほど、抽象的な「言葉にならない」感情も、形にすることができるのだと思う。 抽象的であるので、表現する側と受け止める側が全く同じように感じることができるとは限らない。 しかし、それは一見明確そうに見える表現であってもそうなのではない
歌を歌ってなかったかもしれない。 アイドルをやることも、 ミスiDを受けることも、 Bar黒月を立ち上げることも。 人前に立ち、やりたい事を実現させてもらっていると思ってる。 共感し、一緒にいてくれたり助けてくれる方々に形にして返したいと常に思っている。 みんなにとって、Bar黒月がない世界より、ある世界のほうが断然幸せだよね。って感じてほしい。 温かいご飯と音楽、日差しの差し込む店内で心を癒やしてほしい。 Bar黒月がないと生命の危機が…なんて人はいないと思う。
憧れていた。 花を見て、心が大きく揺さぶられることは20代前半頃までなかった。 キレイだな…良い感じがするな…… というようなものはあったものの、本当に心の底からの振動を感じるような感覚からは程遠かった。 幼少期は国語が得意であった。 小論文のテストは毎回ほぼ満点で、大学も文学部へ進んだ。 「人はこれを見たら、こう感じる」 「このような状況では、涙する」 「作者はこのように感じているから、こんなことを書いている」 というように、自分の中では数学のようにイコールに
新宿ゴールデン街の片隅にある、30年ほどの歴史を持つとあるお店。切り盛りするのは70代の店主。 年季の入ったカウンターテーブルにはタバコの焦げた跡や蓄積された油の層。いつから置かれていたかわからない招き猫の置き物はホコリを被り、お客様の忘れ物のマッチ箱は捨てられずお菓子の缶の中に。染み付いたタバコのニオイはその日着て行った服に移るほど。 清潔かと言われたら決してそうではなく、防災的な観点でも怪しいところ。 けれど、そんなお店で飲む水割りを、日替わりのお通しを、そして店主
1 昔 思い描いた 世界は幻で 君と 同じなのは 息をしてることくらい きっと キレイなのは 僕の知らない場所 止まっても歩いても 見上げた空は暗い このまま 眠って 夜が続けばいいのに 悲しいことは 目に見えなくて 言葉にしたら 壊れそうで 優しい声を くれたのに 耳をふさいだのは 僕なんだね 2 僕に 見えてるもの 君が 見えないもの きっと あるんだよね 広い 空のように 冷めた 温度で 知らないふりしても 言葉にできない 感情が グルグル混ざって 胸の奥を
Bar黒月は、旦那と私との家族経営です。 コロナ禍で私が失業した際、なんか近くのコンビニとかでパートするしかないかなーと思いながら過ごしていているうちに、旦那の音楽関係のお仕事も激減してしまい…毎日ただ時間だけはあったので色んな話をしました。 ニュースを見れば、ライブハウスでクラスター…あのグループが解散…あのお店が閉店…… もちろん私達だけでなく、世の中が悲しさで溢れていました。 私は産後の体調面が100%回復しきれていない中でのコロナ禍だったのですごく落ち込んでいた